遺体の埋葬記録は1945年6月25日の米軍の活動報告書で、沖縄戦研究者の保坂廣志さんが県公文書館で発見。激戦地で現在の八重瀬町南部を示す手描きの地図で「275人を埋葬」といったメモも記されている。報告書について現場を特定し調査の可能性などを分析するため、県が保坂さんら有識者による部会を公益財団法人の平和祈念財団内に立ち上げるため調整していることが分かった。厚生労働省が県内177地点について分析し県に情報提供を行ったが遺骨の発見には至らず、調査を行った戦没者遺骨収集情報センターは情報のうち直接特定に結びつかないものなどを除いた地点の約7割が不正確だった可能性があるとしている。保坂さんは「これまでに国が提示した地点についても検討を交えていきたい」などとコメントしている。
