市橋達也受刑者が向かったのは沖縄の離島・オーハ島。人目を避け島南東にあった廃墟の小屋で生活をしていたという。逃亡期間中4度訪れ約3カ月間生活していた。食事はヤドカリを餌に魚を取り島の植物や自分で育てた野菜、毒蛇のハブも食べていた。お金がなくなると大阪・西成区へ向かった。
逃亡から約1年の2008年2月ごろ、市橋受刑者は偽名を使って神戸にある建設会社で住み込みで働いていた。6月ごろ、ニュースで自分に報奨金が懸けられていることを知り危機感を募らせて逃走。オーハ島に戻り再び隠れた生活を送る。警察は報奨金の上限額を初めて1000万円に引き上げた。8月下旬、大阪・茨木市の建設会社に姿を現し1年3カ月働くも再び姿をくらました。名古屋市内の美容外科で整形手術を受けたが、医師がホクロの切除痕が指名手配書のホクロの位置と似ていることに気付き警察に通報した。2009年11月10日、市橋受刑者は沖縄の離島に戻ろうとフェリー乗り場へ向かった。フェリー会社の職員が違和感を覚え、職員の通報で駆け付けた警察官に逮捕された。2012年4月無期懲役が確定した。
逃亡から約1年の2008年2月ごろ、市橋受刑者は偽名を使って神戸にある建設会社で住み込みで働いていた。6月ごろ、ニュースで自分に報奨金が懸けられていることを知り危機感を募らせて逃走。オーハ島に戻り再び隠れた生活を送る。警察は報奨金の上限額を初めて1000万円に引き上げた。8月下旬、大阪・茨木市の建設会社に姿を現し1年3カ月働くも再び姿をくらました。名古屋市内の美容外科で整形手術を受けたが、医師がホクロの切除痕が指名手配書のホクロの位置と似ていることに気付き警察に通報した。2009年11月10日、市橋受刑者は沖縄の離島に戻ろうとフェリー乗り場へ向かった。フェリー会社の職員が違和感を覚え、職員の通報で駆け付けた警察官に逮捕された。2012年4月無期懲役が確定した。