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「南丹市(京都)」 のテレビ露出情報

太平洋戦争末期の1944年には田井種尾さんが軍服を着る姿がみられた。親戚の浅野満智子さんは種尾さんが妹のようにかわいがってくれたと振り返っていた。兵隊さんになることが怖いことなのかと聞くと、天皇陛下をお守りする近衛兵だから怖いことはなにもないと話す様子を見せていた。天皇の護衛・郷土のほまれとして京都から東京へと向かった。東京は連日アメリカ軍からの空襲に襲われ続け、終戦の日を迎えた。種尾さんは京都へと戻ってこれたものの、皇居も攻撃を受けたことで耳や鼻など顔や手の一部を失うこととなった。満智子さんは種尾さんとはその後は疎遠となってしまった。種尾さんや自分が体験したことを知ってもらおうと満智子さんは情報を寄せたという。種尾さんの子どもは京都に暮らしていたといい、南丹市では重彦さん・たか子さんが暮らしていた。種尾さんの生きた明石も残されていて、書斎にはけがをした時の証明もみられ、1945年4月14日に負傷し、顔面・頭部・両手を火炎に包まれたと記されていた。種尾さんは耳や鼻などを治すために33回にわたり手術を行っていた。「一時は生きて恥をかくより死んだ方がましだと思った」などと綴っていて、戦争が終わっても消えることのない苦しみを味わい続けた。種尾さんは生活の改善を呼びかける傷痍軍人会にも参加したが、27歳の時に幼馴染のさざさんと結婚し4人の子を授かった。家族写真には子どもたちに寄り添う種尾さんの姿も見られた。重彦さんは父親になったことで生きていこうと考え直したと思うと振り返っている。しかし、種尾さんが子どもたちと写る写真はほとんど存在せず人目を避けていたという。種尾さんは地元の畜産農業組合として働き56歳で亡くなった。たか子さんは生まれたときからこの姿がお父さんであり、全然恥ずかしいと思うこともなかったと振り返っている。重彦さんは置かれた身を受け止めて前向きに生きていったと振り返った。たか子さんは「悲惨な戦争 絶対二度と繰り返してはいけない」と話した。また、満智子さんと種尾さんの家族は連絡先を交換していつかは会いたいとの感情を持っているという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月25日放送 6:00 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニング独自取材
岩手・田野畑村にコンビニを誘致することを公約を挙げている佐々木靖村長。誘致場所は道の駅で約270平方メートル、道の駅にあるため駐車場もたくさんあり、賃料は年間13万円と募集したが応募がゼロだった。田野畑村は人口約2800人で自然を生かした観光名所は多く、観光客でにぎわう村で利便性の向上を目指し誘致しようしていて、地元民も切望している。
田野畑村から最寄りの[…続きを読む]

2025年10月16日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおびひるトピ
料理研究家MICHIKOさん推薦のパンのおともを紹介。エネルギー関連企業のシーエープラントが「京のお野菜じゃむ」を出している。創業者が京都府の南丹市出身。地元農家の野菜が3割以上廃棄されている現状を知り、地元に恩返しするため食品事業を立ち上げた。こだわりは、食材は全て京都産。作業の大部分が手作業。水産加工会社「新丸正」が作っている「禁断のアンチョビバター」。[…続きを読む]

2025年9月26日放送 5:25 - 8:14 フジテレビ
めざましテレビなにわ男子のどっち派!?
「HOME/WORK VILLAGE」の1階にはブラジリアン柔術が学べる「neighbors sports club」がある。元々は音楽室があったとのこと。
東京・文京区にある「元町ウェルネスパーク」は元小学校を活用した複合施設。給食室だった場所をリノベーションした「by you 文京食堂」では学校給食風の食器で健康志向の料理をいただけるとのこと。
千葉[…続きを読む]

2025年9月9日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
林修×小泉孝太郎の火曜サバイバル林修×小泉孝太郎の火曜サバイバル
濁流孤立10時間、バスの上で生き延びた37人の奇跡を紹介。2004年10月20日の午前9時頃、観光客の一行は福井県の温泉へ1泊2日の旅行にやってきていた。その日は観光地へ立ち寄った後、兵庫県豊岡市へ帰る予定だった。この旅行に参加していた中島明子さん64歳。バスに乗っていたのは市役所の元職員や元看護師など、男性20人・女性17人でほとんどが60歳以上だった。唯[…続きを読む]

2025年8月18日放送 4:30 - 5:50 日本テレビ
Oha!4 NEWS LIVENNN戦後80年プロジェクト いまを、戦前にさせない
戦後80年となる今年。89歳の女性が80年以上大切に保管し続けたのは親戚の男性が写る1枚の写真。太平洋戦争末期の1944年に京都で撮影された写真。21歳の男性が軍への入隊が決まった時に撮られたもの。天皇の護衛や皇居の警護にあたる近衛兵。終戦後、女性は京都で男性と再会したが、皇居に落とされた焼夷弾を受け、顔や手の一部を失っていた。その後は疎遠になってしまったと[…続きを読む]

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