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「国際日本文化研究センター」 のテレビ露出情報

今回磯田道史さんと訪れたのは岡山県倉敷市の楯築遺跡。磯田さんは小学生の頃、10キロほどの道のりを何度もここに通ったという。土器のかけらを探したり発掘の様子を見ていたという。インタビューの途中、磯田さんは楯築遺跡にある様々なものを発見した。歴史というのは「本当に自分の見た情報」だと語る磯田さん、自分で確かめたほうが良いという。さらに磯田さんは自分の実家に古墳を作っていたという。これは「やってみなければわからないことがある」からだそうだ。
歴史に没頭していた磯田さん、城が好きだった磯田さんは岡山城の事細かな絵を描いたり、歴史に関するお芝居も上演した。自分のやりたいことを突き詰めた少年時代、塾に通わされても途中で帰ってきてしまったという。ただ磯田さんのお父さんはそれを許してくれたという。高校生の時、家にあった古文書・家系図を見せられ歴史学者を志したという。そんな磯田さん、歴史とは「靴である」と考えているという。歴史を知れば災害などを避けられる、予測できると語る。さらに歴史は繰り返させないが韻を踏むのだと語る。全く同じ事象は起きないが似たようなことが起きるのだと語ってくれた。
磯田さんが力を入れている研究の1つが災害史。古文書や資料からどのような場所でどのような災害があったかがわかるという。さらに磯田さんはその教訓を発信することが大切だと考えているという。そのうえで「災害は必ず来る、しかも似たような形でやってくる」と語り、以前この程度だったからとたかをくくったような情報発信はしてはいけないと考えているのだという。現在何が必要か、そんな問いに磯田さんは考え方などの多様化だと語り、これまでの歴史を振り返り、いい学校を出ていい会社に就職することが経済的な停滞が起きているとし、おもしろい・わくわくさせるような発想が必要ではないかと語り、その例に江戸時代の道楽や文化を挙げ、現代と対比させ発想を豊かにさせにくいとした。さらに現代の子ども達に対して、磯田さんは「ルーティンの他に何かいつもと違うものをやる時間を持っていた方が良い」と語った。
住所: 京都府京都市西京区御陵大枝山町3-2
URL: http://www.nichibun.ac.jp/

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月5日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン旬の番組 テイスティング
「光る君へ」第42回の映像。「光る君へ」時代考証・国際日本文化研究センター・倉本一宏名誉教授は怪文書について、ドラマのシーンの基になる記述が藤原実資の「小右記」に記されていると解説した。当時は内裏火災が頻繁に起こっておりこれも一種の反体制運動だったという。怪文書の作成者はあくまで史実に基づいて推測すると娍子の兄の周辺の人ではないかとした。

2024年9月22日放送 22:00 - 23:15 フジテレビ
Mr.サンデー(ニュース)
エミー賞18冠に輝いたドラマ「SHOGUN 将軍」。番組は作品に関わった関係者を独自取材。国際日本文化研究センター副所長・フレデリッククレインス氏は35年前に来日し、徳川家康、細川ガラシャ、三浦按針などの研究を続けてきた戦国時代研究の第一人者。3年前にクレインス氏の元に初めて脚本が送られてきたが「(米国人スタッフは)戦国時代を分かっていない。筋書きは素晴らし[…続きを読む]

2024年4月24日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
奇跡体験!アンビリバボー(国内UMA)
伝説や目撃情報によると最も目撃情報が多いのは九州。江戸の説話集「本朝俗諺志」では、カッパは中国から熊本・八代市に泳いでわたってきたとされている。住み着いたカッパの一族は9000匹となり、頭領は九千坊と呼ばれた。八代市には中国からカッパやってきたことを記す伝承を記した碑があった。その後田主丸などに追いやられたという。田主丸町でカッパ伝説を伝えている菰田さんは「[…続きを読む]

2024年4月4日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
林修の今知りたいでしょ!2024年最新 歴史のプロが投票!今、世界に知ってほしい!東京の名所15
東京・日本橋は近代的なオフィスビルが並ぶ印象の一方で、下町情緒が今も残っている。江戸桜通りは桜の名所であり日本橋三越本店や日本橋高島屋も並ぶことで知られるが、原点は徳川家康だという。専門家のフレデリック・クレインス氏は江戸時代から町人文化の中心地だと紹介し、滝沢弘康氏は家康の都市計画の基盤だと紹介している。
日本橋は空襲や震災の被害を受けたものの今も江戸の[…続きを読む]

2024年3月21日放送 1:35 - 2:25 NHK総合
NHKスペシャル戦国ー激動の世界と日本ー
オランダの国立公文書館には、日本に滞在したオランダ商人が書き残した日誌や手紙など500件以上が保管されている。この文書にはオランダ商人が戦国日本にビジネスチャンスを見出していたことが記されていた。オランダと日本の出会いは1600年4月、オランダの貿易船が難破して日本に辿り着いたことから始まる。貿易船には最新式の鉄砲や弾薬が大量に積み込まれており、これに目を着[…続きを読む]

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