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「報知新聞」 のテレビ露出情報

1974年10月14日、後楽園球場に長嶋茂雄選手の最後の試合を見届けたいと多くの人が集まった。当時アルバイトの予定があったがそれをキャンセルし試合を観戦したと振り返るテリー伊藤さん。その際に観客の顔には華やいだ雰囲気はなく、沈黙があったと語る。当時実況を担当した元アナウンサーの赤木孝男さんは球場に寂しさがあり、どよめきが多かったと振り返る。リーグ優勝が決まった中日とのダブルヘッダー、消化試合にもかかわらず、多くの人が球場に足を運び、その視線は長嶋茂雄選手に注がれた。第1試合、長嶋茂雄選手は通算444号のホームランを放つ。さだまさしさんはテレビ番組にそのホームランを見て「まだやれるじゃないか」と涙したと語る。その後王貞治選手もホームランを放ち、ONコンビ106回目のアベックホームランとなった。当時34歳だった王貞治さんは「あのホームランだけを見ればまだまだやれるのに」と感じたと振り返る。
長嶋茂雄さんの故郷である千葉県佐倉市。こちらには長嶋茂雄さんの名前を冠した「長嶋茂雄記念岩名球場」が存在する。展示室には多くの写真が飾られ、長嶋さんの足跡をたどることができる。長嶋さんは昭和11年に生まれ、ガキ大将で人気者だったという。長嶋茂雄さんの引退を記念し制作されたレコードには母・チヨさんの肉声が収められた。終戦直後、長嶋さんたちを夢中にさせたのは戦中は敵性スポーツと白い目で見られた野球だった。当時の子供達が野球に夢中だったかを語る。長嶋さんは千葉県立佐倉第一高等学校に入学、プロからも注目を集める存在となったが、父親の進めもあり立教大学に進学。大学在学中の長嶋さんと会ったという元アナウンサーの赤木孝男さんは、当時6大学の記録を更新する8号ホームランを放った瞬間の長嶋さんの喜び方を堂に入っていたと振り返る。王貞治さんも当時の長嶋さんのプレーを天性のファンを喜ばせるものがあったという。立教大は今年150年、長嶋さんの功績を称えるモニュメントが作られた。さらに同大学出身のフリーアナウンサーである徳光和夫さんは長嶋さんの後背になりたいと考え立教大を受験したのだという。
長嶋茂雄さんは注目される中巨人に入団。オープン戦で大活躍を見せ、迎えた開幕戦では大投手・金田正一の前に4三振。しかしそこから大活躍が始まり、ホームランと打点で2冠王と新人王。この年29本塁打だったが、ベースの踏み忘れで1本が取り消された、だがそんな姿もファンを魅了した。翌年迎えた天覧試合でサヨナラホームランを放つ。長年長嶋さんを取材したスポーツライターの小林信也さんは天覧試合は長嶋さんと戦後の日本の大きな転換点となり、長嶋茂雄選手は象徴のような存在になったと語る。この頃日本の野球熱は加速。この頃のことを、テリー伊藤さんは下駄箱の3番を誰が使うか争ったと振り返り、さだまさしさんは上京してきたばかりで、そのストレスを緩和してくれたのが長嶋選手だったと振り返る。王貞治さんは自身がデッドボールを受けた試合で長嶋選手がホームランを打ってくれた試合が印象的だったと振り返った。長嶋選手に日本中が心を揺さぶられる。詩人のサトウハチローさんもその1人だったという。
長嶋茂雄選手はプロ10年目の年から伊豆の国市大仁の温泉で自主トレを行うようになった。長嶋選手はホテルの部屋にネットを張り、バッティング練習をすることもあったまた市内には長嶋さんの名前を冠した道がいくつもあり、2016年には市内を訪れた。商工会の役員である金子佳史さん・中学時代に長嶋選手と遭遇した原隆信さんは当時を懐かしそうに振り返った。打つ・守る・走ると様々なプレーで観客を楽しませた長嶋選手。実はヘルメットをかっこよく飛ばせるかを練習したという。スポーツライターの小林信也さんは長嶋選手のプレーに無駄なものはなかったと語る。30年を超える親交のある画家の絹谷幸二さんは表現者として共鳴するものがあるという。また長嶋さんが絵を描きたいと言ったときには絹谷さんのアトリエで作品を完成させたが、その時も常にプラス思考だったと振り返り、それが後に画風に影響を与えたと振り返る。
1974年10月14日、ダブルヘッダーの第1試合終了後、長嶋茂雄選手はグラウンドを1周、予定にないファンへの挨拶を行った。これには中継していたカメラマンなども驚かされたという。1974年、引退と同時に長嶋さんは監督に就任。定宿なったホテルには長嶋さんと女将・冨森久子さんとの写真が多く、従業員の多くがファンだったという。長嶋監督が強く巨人入りを望んだ定岡正二さんと篠塚和典さん、定岡さんは背番号20番に関して20勝を期待されている背番号だと言われたと振り返り、篠塚さんはベルトを持ち上げられてバッティングを教わったと振り返る。10年前から行われる野球教室でコーチを務める2人は長嶋さんとともに熱心な指導を行い、長嶋さんがバッターボックス立つ一面もあった。宮崎市にある長嶋さん馴染のうどん店、多くの写真が飾られ、店には当時長嶋さんが着ていたセーターが置かれている。テリー伊藤さんは長嶋さんの背番号3のユニフォームをいただいたと振り返り、徳光和夫さんは脳梗塞後に左手でサインを書いてくれたバットを大切にしているという。スポーツ教育に力をいれる高岡正幸さんは10月14日のチケットを大切にしており、指導する際には長嶋さんの否定しないことを心がけているという。1974年に監督に就任した長嶋さん、1975年シーズンは最下位となったものの、翌年から2年連続リーグ優勝、しかし日本一には届かなかった。1980年、唐突に辞任を発表した長嶋監督。王貞治さんもこの年現役引退を決意していたが、自分の引退どころではなくなってしまったと振り返る。さだまさしさんもその時のことはよくおぼえており、長嶋監督を切るという行為が許せなかったという。そこから12年、長嶋さんは第一線から退く。スポーツライターの小林信也さんは野球教室で長嶋さんが守備を披露した際のことを振り返った。
今回の取材で、大瀧詠一さんが長嶋茂雄さんの大ファンだったということがわかった。当時を知る萩原健太さん・伊藤銀次さんは大瀧詠一さんが長嶋茂雄さんの大ファンだと気がついたのは引退に際してだったと語る。また野球中継にゲストで呼ばれた大瀧さんは長嶋監督の采配を言い当てたという。1992年秋、長嶋監督が復帰した際には熱い思いを大滝さんはラジオで語った。この年の6月にリリースした「青空のように」は長嶋さんに捧げたものだったという。長嶋監督が復帰して最初の仕事は1992年のドラフト会議。4球団で競合した松井秀喜選手の獲得。松井選手は4番打者として2度の日本一に貢献。後にアメリカに移籍した松井さんに対して、巨人の終身名誉監督という立場では「ノー」だったがヤンキース入りが決まった際には「良かったな」と声をかけてくれたと松井さんは振り返る。松井さんは長嶋監督から「俺はお前を日本のジョー・ディマジオにしたい」と言われたことがあり、移籍先として希望したチームがヤンキースになったという。松井さんは遠征の宿泊先でも指導を受け、渡米後もホテルで指導を受けたと振り返る。長嶋さんの母校・立教大学の近くにはこの試合で投手を務めた横山忠夫さんがうどん屋を開いている。お店には2人で撮影した2枚の写真が飾られている。1枚は1度目の監督退任後、2枚目は神宮球場で母校・立教大学の試合を観戦したさ際のもの。この時、2人で校歌を歌ったと振り返る。
1974年10月14日、長嶋茂雄選手の現役最後の試合となるダブルヘッダーの第2試合、長嶋選手は4番サードで先発出場した。久しぶりの4番としての出場。王貞治さんは当時力は落ちていたとし、葛藤があったはずだと振り返る。マウンドにいた横山さんは引退セレモニーに観客が意識を向けており、試合を長引かせるわけにはいかないという緊張感があったという。9回ウラライトフライで試合が終わると長嶋茂雄の現役生活が終わった。記録よりも記憶に残る選手と言われる長嶋選手だが17年連続オールスターファン投票1位などの記録がある。引退セレモニーで長嶋選手がマイクを持つと観客は静まり返った。長嶋選手は「私は今日引退しますが、我が巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残した。現地にいた毒蝮三太夫さんは「17年間与えてくれた感動は泣くものではなく拍手するもの」と感じ、涙は出なかったと語る。詩人の寺山修司さんは長嶋茂雄は野球少年が思い描いた夢の姿だったと語った。あれから50年、長嶋さんの巻いたタネは確実に花開いた。松井秀喜さんは引退会見で現役時代一番印象に残っているのは長嶋監督との素振りの時間だと振り返り、長嶋茂雄を一案理解しているのは自分で、思いをつないでいくのは自分だと考えているという。

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