太平洋戦争末期の1945年、首都東京は3月10日の大空襲をはじめたび重なる空襲で甚大な被害を受けた。しかし戦争の爪痕は戦後の復興と経済成長で急速に消えていった。そんな中、80年前の大空襲の焼け跡が新たに見つかった。見つかったのは墨田区で解体が進む病院の屋上。細く急な階段を上った先にある小さな一室は戦前、エレベーターの機械室として使われていた。空襲により全体が焼け焦げ壁や天井には今も黒いすすが残っている。戦後に病棟は改修され復旧したが、使われなくなったこの部屋だけが手付かずのままとなった。賛育会病院の遠矢充宏は歴史的な価値があるのではないかと建物の解体を前に専門家に連絡した。病院を運営する賛育会は婦人と小児の保護を目的に1918年に創立。地域に複数の産院や託児所を作り戦時下も母親たちを支えた。そして東京大空襲があった1945年3月10日未明、賛育会の病院は多くの妊婦が入院したまま火災に襲われた。空襲の前日から入院していた妊婦の1人が小田切きい。命からがら避難し朝方、芳子を産んだ。現在79歳になった芳子に会うことができた。炎の中、陣痛に苦しみながら逃げ惑った母親の記憶を何度も聞かされたという。夜が明け、救助されたきいは運ばれた別の病院で無事に出産。しかし、病室の外から親を失った子どもたちの声が聞こえたことを、生涯忘れられなかったと話していた。今回見つかった病院の部屋の映像を芳子に見てもらった。病院から連絡を受けた専門家により、保存に向けた動きが始まっている。病院や解体業者と話し合いながら壁の一部だけでも保存しようと取り組んでいる。