現在、高市首相の台湾有事を巡る答弁をきっかけに悪化している日中関係だが、1994年の細川政権時にも台湾の扱いに日中双方が神経をとがらせていた実態が明らかになった。1994年1月に羽田外相(当時)が中国で外相会談、3月には細川首相(当時)も中国を訪れ首脳会談を行った。きょう公開された文書では会談に先立ち日中両政府が議題や発言内容を巡り事務レベルで調整した内容が記されている。中国側は日本側に原則的立場を述べることを求めた。国交を正常化した1972年の日中共同声明で「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部」であるとする中国の立場を日本が「十分理解し尊重する」記されていた。それから20年余たった1994年、当時の外務省幹部は「台湾が民主主義化し、中国の台湾に対する警戒心がどんどん強まっていった」と振り返る。首脳会談で細川首相(当時)は「台湾との関係処理にかかる立場は今後とも不変である」と述べ、日中共同声明を遵守する立場を堅持していく考えを強調。細川元首相は台湾との関係について「非政府間の実務関係として維持するという日本の立場もあり、非常に気を遣った」と振り返る。高市首相の答弁をきっかけに日中関係は急速に悪化している。専門家は「現状の関係が緊密であることの裏返し。冷静に対話して適切に管理することを期待したい」とした。
