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「陸軍」 のテレビ露出情報

「 「あの戦争」は何だったのか」を手掛けた辻田真佐憲氏とともに終戦の日について伝える。日本は1931年9月18日に満州事変を起こし翌年に満州国を設立した。37年の7月7日の盧溝橋事件は日中戦争の発端となった。ヨーロッパでは1939年にナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻したことを受けて、英仏が独へ宣戦布告したことで第2次世界大戦が始まることとなる。1941年12月8日には真珠湾攻撃が行われ太平洋戦争が始まった。1945年の3月に東京大空襲、4~6月に沖縄戦、8月6日は広島・9月は長崎に原爆が透過され、15日に終戦することとなった。9月2日には降伏文書の調印が行われている。そして、太平洋戦争の際には米英蘭と中国によるABCD包囲網もしかれる事となった。辻田氏は戦争の始まりを1937年の日中戦争ではないかと見ている。太平洋戦争からが日本の戦争と一般的には言われているが、日中戦争の時期にはすでに総力戦体制がしかれていたことが理由という。歴史は現代からの解釈として位置づけられる中、戦前の世代が亡くなっていく中で生存者に話を訊くことに加え教訓を活かしていくことが求められるのではないかとしている。戦争拡大の背景には資源の問題があると見られ、第一次世界大戦の後は協調の流れはあったものの世界恐慌で自国で資源を加工ブロック経済へと変わってしまった、自前で資源を確保する考えが強まったことで持たざる国は軍事行動を起こさざるを得ないという考えが強まったとしている。デーブさんは戦争の始まりは真珠湾攻撃からだが中国では残酷な出来事が起きていた、真珠湾攻撃以前のことを避けて通ろうとしているのではないかと指摘。中野さんは近現代史はほとんど学ばれない、曖昧にしておくことが是か非かは議論すべきではないかと言及。
第2次世界大戦当時は、日独伊参加国が枢軸国と呼ばれていた。当時の指導者だったヒトラーとイタリアのムソリーニは当時から独裁的な権力を持っていたのに対し、日本の太平洋戦争開始当時の首相は東條英機だった。一方で日本では軍部が政府と独立していたことで司令塔は不在だったと辻田氏は指摘する。日中戦争の頃から戦争に協力しない者は非国民と避難される空気感が流れていた。辻田氏は東條英機について、実際に首相となったのは太平洋戦争の2か月前のことであり、日中戦争の時は東京にもいないなど東條1人が日本・陸軍を主導したわけではなかった、軍の官僚から首相になった存在であり止めることは難しかったのではないかと見ている。辻田氏は新聞について戦争は関心度が高いことで報じると儲かるのが実情でありフライングで戦果を報じていた、国民も勝利の報道を娯楽と考えるなど軍部以上に国民やメディアも好戦的となってしまっていたと指摘している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月11日放送 15:49 - 18:30 TBS
Nスタ戦後80年 つなぐ、つながる
千玄室は海軍の元特攻隊員。1943年、日本が敗走を重ねる中、不足する兵力を補うため大学生は陸海軍へ入隊することになった。1945年3月に特攻隊員に志願したという。千利休は豊臣秀吉の命令で切腹した。仲間が特攻で命を失う中、千玄室の特攻の待機命令が続き、終戦を迎えたという。千玄室は「80年間慙愧の念に堪えず私は生き残ってきた」などと話した。

2025年8月10日放送 23:00 - 0:12 NHK総合
戦争をどう伝えていくか(戦争をどう伝えていくか)
1989年1月、昭和天皇が崩御。昭和が終わり新たな時代が到来した。1990年代に入るとバブル経済が崩壊。「第二の敗戦」ともいわれた。この過度期にNHKは新たな太平洋戦争検証番組を放送。NHKスペシャルで太平洋戦争の意思決定の過程やその結果を詳しく報じた。当時番組を企画した中田整一は、バブル崩壊後、続々と倒産する会社と露頭に迷う失業者を見て「これは戦争のときの[…続きを読む]

2025年8月8日放送 18:30 - 21:58 フジテレビ
ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点(ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点)
1945年3月26日、沖縄航空特攻作戦が始まり死者は約2600人に上った。知覧特攻平和会館には陸軍特別攻撃隊の戦死者1036人の遺影が収められている。当時、鹿児島・知覧で食堂を営んでいた鳥濱トメさんは隊員たちからお母さんと親しまれた。1978年放送の番組で脳裏に焼き付いて離れない隊員たちとの別れの時を語っている。

2025年8月8日放送 8:14 - 9:50 フジテレビ
サン!シャインどこよりも早く1週間を総まとめ!サン!シャイン的「未読ニュース」
1945年の3月26日から8月11日にかけて行われた沖縄航空特攻作戦を巡っては、約2600人の命が失われた。特攻で命をなくした穴澤利夫少尉は婚約者に手紙を宛てていて「あなたの幸せを希ふ以外に 何物もない」とあった。手紙を受け取った婚約者の伊達智恵子さんは唯一の遺品となった煙草の吸殻を大切に保管する様子を見せていた。

2025年8月5日放送 7:45 - 8:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
太平洋戦争末期、フィリピン・レイテ島の戦いでは大きの将兵が命を落とした。この戦いで戦死した父親の最期を知りたいと願う坂本直文さんを取材した。7月1日。坂本さんの父親が所属していた陸軍第1師団はこの日、レイテ島で玉砕したとされている。レイテ島の戦いは日米の決戦だった。しかし、補給が絶え多くの兵士が飢え等で命を落としたという。父親の詳細は分かっていない。坂本さん[…続きを読む]

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