今年は戦後80年。太平洋戦争の開戦直後旧日本軍は東南アジア各地に進軍し大勢のオーストラリア兵を捕虜にした。捕虜たちは劣悪な環境下で強制的に働かされたという。とくに過酷だったのがタイとミャンマーを結ぶ泰緬鉄道の建設で1942年〜1943年過酷な強制労働で1万人超の捕虜が死亡、約3000人がオーストラリア兵だった。こうした歴史にオーストラリアの人たちはどう向き合っているのか。オーストラリアで毎年2月に開かれる式典では過去の捕虜で犠牲となった人たちを称えている。会場には旧日本軍の捕虜となった人を含む3万6000人の名前が刻まれている。オーストラリア人の元捕虜・ジェームスイーストンさん(108)は旧日本軍の捕虜となり泰緬鉄道の建設に従事させられた。仲間はマラリアやコレラなどで次々と命を落としたという。食料不足は深刻で飢えで亡くなった人もいるという。こうした記憶を受け継ごうというのが祖父2人が旧日本軍の捕虜となったハリータイソーさん(69)。父方の祖父は十分な食事が与えられず長時間労働の末かっけとインフルエンザが原因で死亡。祖父の足跡をたどりその歴史を日本人とも共有したいと日本に訪れた。祖父が眠る墓地を訪れ、思いがあふれ出す。