JR福知山線脱線事故からまもなく20年。鈴木順子さんは562人の負傷者の中で最重症の一人で、脳に致命的なダメージを受けた。5か月後に初めて言葉を発し、9か月後にプールでのリハビリを開始。11か月後、少しずつ食事をとれるように。脳には記憶障害が残った。昔のことは覚えているが、5分前のことや人の顔、予定などを覚えられない。事故前後の記憶は薄らいでいった。事故から10年。順子さんは記憶障害に苦しんでいた。20代の時に趣味だった陶芸を本格的に再開。仲間たちと作品展を開く目標を立てた。23年6月、メインの大皿作りが始まった。この10年で順子さんは今の自分を受け入れるようになった。24年7月、ついに大皿が完成。おととい作品展の初日を迎えた。