安政さん恵子さん夫婦にポツンと一軒家に案内してもらった。切り拓かれた山の中腹に柵で囲まれた畑が並び、脇にはテントで囲ったような建物が数棟とトタン屋根の小屋が建っていた。安政さんは来る度に畑を耕しており、自家用の野菜を栽培している。テントの建物は農機具が入っている倉庫で、奥には自作の材料置き場があった。2人はお客さん用のテーブルをセットしてくれた。映画上映後人が大勢来るため、また来たいと思ってもらいたいと考えているという。戦後間もない昭和22年、恵子さんは生まれて5日後にこの場所に移住した。移住当初はサツマイモを栽培した。3キロ離れた小学校に徒歩通学していた。恵子さんが中3のときに父・寅夫さんは大阪に移住し、不動産屋と個人タクシーをした。恵子さんは中学卒業後化粧品販売員になった。客から安政さんを紹介され結婚。2人の子どもにも恵まれた。結婚して7年が経った時に両親がUターン移住し、自給自足生活を始めた。18年ぶりに戻った山は荒れ放題になっていたため、再び一から山を開墾。小屋を建てて生活を再開した。子どもたちも通い両親の手伝いをしていた。