JR南武線の終点、浜川崎駅の先に広がっている京浜工業地帯。海を埋め立てて作られ製鉄や化学などの重工業を中心に発展し、日本を代表する工業地帯の1つになった。この場所にかつて南武線の貨物列車は奥多摩から製鉄の原料となる石灰石を運んでいた。京浜工業地帯も歴史の分岐点を迎え沿線の街も変貌している。浜川崎駅の近くに住む福永武義は京浜工業地帯の鉄鋼会社に祖父の代から3代続けて勤めてきた元鉄鋼マン。駅前に来ると今でもかつてのにぎわいが目に浮かんでくる。川崎市臨海部に広がる京浜工業地帯、最盛期は鉄鋼や石油など重工業を中心におよそ10万人が働いていた。一日24時間、休みなしで生産を続ける製鉄所。日本の工業の中心的存在として発展してきた。日本の高度経済成長をけん引した一方で、大気汚染など深刻な公害問題もあった。しかし周辺の地域には多くの人が集まり、がむしゃらに働き活気にあふれていたと福永はいう。彼が勤める会社では社内新聞を発行して当時のにぎわいを伝えていた。新聞の名前は「みんなの輪」。会社の担当職員が地域の祭りなどを取材し記事を書き住民たちに配っていた。そんな街の様子も京浜工業地帯とともに様変わりしていく。時代とともに工場の海外移転が相次ぎ象徴的な産業だった高炉による鉄の生産もおととしに終了。かつての重厚長大な産業から研究開発拠点などへの転換が進んでいる。地域は宅地化が進み新たな住民も増えている。しかし地域活動への参加は少なく人とのつながりや一体感は希薄になったと感じている。時代が移り変わる中でも地域のよさを残していきたい。新たな取り組みに動きだした人もいる。浜川崎駅の近くの地域で自治会役員を務める林田奈保美は昔のような近所づきあいがないことを残念がるお年寄りが多いと肌で感じてきた。そこで地元の仲間と一緒に去年立ち上げたのが子ども食堂。オープン以来、地域で新たに暮らし始めた親子連れや古くから住むお年寄りたちが気軽に立ち寄る場になっている。かつて地域にあった人との結び付きを再び取り戻せるのではないか、林田は手応えを感じている。