両親のサポートのため、数年前、仙台に戻った。最晩年、父・好夫さんは寝たきりの状態だったという。その時、母が父の本を大量に処分してしまった。それに俵万智は怒り、喧嘩になったという。息子にも電話をして話したところ、息子はおばあちゃんは何かしら、おじいちゃんに関わることをしたかったんじゃないと言われ、ハッとした。母にそういう気持ちだったか聞くと、本を整理している時は心が穏やかになったと言われたという。息子が気づいて言ってくれたことはありがたかったと話した。2024年に父が91歳で亡くなった。その時、俵万智は東京にいたという。大事な仕事をキャンセルしようか迷っていた時、緩和ケアの先生から、ここにいることをお父さんが喜ぶか、仕事に行くことを喜ぶか。そういう考え方もあるのではないですかと言われ、俵万智は仕事に行くことを決めた。その仕事が終わって地下鉄の階段をのぼったところで亡くなったという電話を受けた。父が亡くなった後、言葉が溢れてきたが、死を題材にするのはどうなのかという気持ちがあった。しかし、緩和ケアの先生のどっちをお父さんは喜ぶかという言葉が思い浮かんだ。私の詩が好きだった父は詠むという方を選ぶと思い、気持ちが吹っ切れ、父を見送る詩を詠むことができた。俵万智は「生きる言葉」というエッセイを出版。子育ての話もかなり書いたといい、どのようにして子どもが言葉の力をつけていったかを書いたという。母は元気だといい、米寿になった。俵万智は生きる言葉をどう鍛えるかについて研究している。
