瀬戸内海の底にあった長生炭鉱。レンガで作られた門を抜けると、周囲が木の板で囲われた坑道へ。骨は確かにそこにあった。山口県宇部市は瀬戸内海に面し、炭鉱で栄えた。この地域で採掘される炭鉱の約7割が海底炭鉱だった。そのうちの一つが長生炭鉱。ピーヤは炭鉱内の排気や排水の役割を担っていた。「しょっちゅう水漏れがしていました」「頭の上で船のスクリューの音が聞こえて恐ろしく逃げることばかり考えていました」という炭鉱労働者の証言を紹介。太平洋戦争中、総動員体制のもと、危険な採掘が続けられ、1942年2月3日に坑道の天井が崩落した。183人が犠牲になり、うち136人が朝鮮半島出身者だった。事故後、彼らの救出は行われず、炭鉱内に取り残された。家族をふるさとに連れて帰りたいという韓国遺族の言葉に立ち上がったのが地元の支援だった。長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会 共同代表の井上洋子さんは「分かっている方たちのご遺骨すら掘り起こしてあげられないのはどうなのかな」と語る。井上さんら刻む会は、犠牲者の遺骨を収集し、遺族に返還することを目指して活動している。2015年抗口を探る調査を実施。約1年前に始まった潜水調査。水が濁って前が見えない、坑道が崩れて先に進めない。遺骨があるとみられる抗口から約500m先の本坑道の場所に到達し、6回目の調査となった先月、韓国のダイバー2人がついに人の骨を発見した。次の日の調査でも長靴を履き横たわった人のような姿も確認できる。ダイバーは頭の骨を持ち帰った。井上洋子さんは「本当に長生炭鉱の刻む会にとって遺族にとっても記念すべき日になったと思います」と語った。事故で父親をなくした愛知・刈谷市の常西勝彦さんのもとにもその知らせが届く。市民の力によって見つかった遺骨。井上洋子さんは「戦争中のエネルギー政策で日本の国のために無理をして人災で殺された人たちです やっぱりそこは国が責任を取らないと」と指摘する。刻む会は政府に遺骨の調査・返還の支援を求めているが厚生労働省は安全性の懸念などを理由に退け続けてきた。遺骨のDNA鑑定に関する政府の方針は決まっていない。上村彩子は遺族の気持ちを思うとスピード感を持って進んでほしいと思うが、安全も確保しながらとなると難しい面もある、などとコメントした。