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「東京大空襲」 のテレビ露出情報

古地図アプリ「大江戸今昔めぐり」を使えば殺風景となってしまった場所の過去の賑わいを知ることが出来たり、芭蕉庵などの名所を知ることが出来る。下町グルメも紹介される。今回は両国駅周辺から隅田川を下り清澄白河を目指すルートとなる。散歩の達人・武田憲人さんとともに散歩へと向かうものの、「大江戸今昔めぐり」は過去の江戸の姿を調べることが出来るのが特徴で、航空写真と現代の地図を重ねて確認することも可能だが、過去の両国橋は現在の両国場所ではない場所にの100m先にあった。当時両国橋のあった場所は駐車場があるのみとなってしまっていたが、当時は浅草・日本橋と並ぶ江戸の三大盛り場と言われていたという。現在両国幼稚園がある場所はかつては回向院の正門があったといい、ここは10万人以上の命が失われた明暦の大火で四大将軍家綱が命を失った無縁仏の冥福を祈る法要を執り行い建てられたものであり、東京大空襲によって一時消失したものの現在は京葉道路沿いに移設されている。回向院の力塚は相撲協会歴代年寄を慰霊するために建てられ、寺社の修繕などのために行われた勧進相撲は後に大相撲の発展に貢献した。回向院では春と秋に相撲大会が行われ、絵には屋根も見られたが住職の本多将敬さんは当時の相撲小屋には屋根はなかったと見ている。そして、回向院で行われていた相撲が人気を博す中、1909年には旧国技館が建てられ、相撲はさらに発展していった。回向院の裏手には大石内蔵助が雪の降る夜に吉良上野介を討ち取った忠臣蔵で知られる吉良邸跡があり、武田さんによると四十七士は甘酒で暖を取ったと紹介した。その近くの大川屋では「忠臣蔵の吉良まんじゅう」など地元にあやかったグルメを楽しむことが出来る。
続いては松尾芭蕉ゆかりの深川地区へ。江東区芭蕉記念館は芭蕉の業績を顕彰するため1981年に開館していて、庭園もいたるところに歌碑が建てられているのが特徴。「古池や 蛙飛び込む 水の音」などの句もここで読まれたのだといい、花や草木を歌った俳句が見られる。隅田川を下流に200mほど進むと庭園の分館にたどり着いたが、ここには江東区芭蕉庵史跡展望庭園があり、これを上ると芭蕉像が鎮座する様子が見られる。ここにはかつては芭蕉庵があったとみられ、芭蕉は隅田川を眺めながら俳句を考えていた可能性もある。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月30日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルピックアップNEWS
横浜大空襲からきのうで80年となった。米軍はB-29を517機飛ばし東京大空襲の約1.5倍となる約44万個の焼夷弾を使うなどし、神奈川県警によると死者3650人、被災者30万人以上の被害が及んだという。語り部としても活動する芦沢康江さんは何万人という人が横浜から移動していったなどと振り返り、戦争は大変なことなのでしてはいけないのだと呼びかけた。杉島和三郎さん[…続きを読む]

2025年5月27日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
80年前の5月25日、太平洋戦争末期の空襲に伴う火災で、明治時代に皇居に建てられた木造の明治宮殿が焼け落ちた。給電の焼失は戦後の皇室のあり方にも影響を及ぼした。中澤昭さんは戦後あまり語られなかった宮殿の消火活動を本にまとめた。背景について、消防関係者に箝口令が出て空襲関係資料が処分されたほか、占領軍の言論統制もあったという。名古屋大学・河西秀哉准教授は「皇居[…続きを読む]

2025年5月25日放送 20:45 - 20:55 NHK総合
ニュース(ニュース)
東京大空襲のあと4月~5月にかけて都心部などを標的に繰り返され数千人が死亡した山の手空襲。中でも5月25日深夜に始まった空襲は3000人余が犠牲になるなど最も被害が大きく、明治宮殿も焼け落ちた。このため昭和天皇は香淳皇后とともに戦後も皇居内の防空施設で暮らし続けた。現在使われている“新宮殿”が造営されたのは高度経済成長期になってから。この間、焼け跡の整理をき[…続きを読む]

2025年5月24日放送 22:55 - 23:00 NHK総合
ニュース・気象情報(ニュース)
戦時中、空襲や地上戦に巻き込まれた民間の戦争被害者は、軍人や軍属とは異なり国による補償の対象になっておらず、被害者たちが中心となって救済を求める活動を続けている。空襲被害者などでつくる団体が都内で集会を開き、東京大空襲で母親と2人の弟を亡くした河合節子さんが「早く法律が施行されないと、みんないなくなってしまう」と述べた。空襲被害者などをめぐっては、超党派の国[…続きを読む]

2025年4月27日放送 11:00 - 11:45 テレビ朝日
皇室スペシャル皇室SP
3月10日、東京大空襲の犠牲者らの法要に参列された秋篠宮ご夫妻。約10万人の命が失われたのは今から80年前の1945年。上皇さまは初等科6年生の11歳、上皇后美智子さまは国民学校5年生の10歳だった。同級生と共に栃木県に疎開し、厳しい生活を余儀なくされていた上皇さま。終戦の日は奥日光の宿泊施設でラジオに耳を傾けられたそう。上皇さまは静かに涙を流し、微動だにさ[…続きを読む]

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