福島県のポツンと一軒家に到着し、主の幸子さんと娘婿の好蔵さんに話を聞いた。幸子さんは戦時中空襲で東京の家を失い、福島県にあった父の実家に疎開した。1年ほど麓の実家に住んでいたが祖父が開墾した山に自宅を建て、幸子さんが4歳のときに移り住んだ。当時は米も作れないため豆や小麦などを作ってすいとんにしていた。戦後の食糧難で食べるものがなく、母は子どもに食べさせるため空腹でよく倒れていたという。東日本大震災では一家で3年ほど避難し、幸子さんの夫・利男さんは避難先で他界した。3年後に戻ってきたが家業の米作りを再開することはできなかった。田んぼをすべて除染し土を交換した。