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「桓武天皇」 のテレビ露出情報

司馬遼太郎が生前集めた資料2万点を展示する記念館。著作「空海の風景」は昭和48年発表の作品。空海は医学、薬学、建築学などに精通。日本初の私立学校も設立。
空海の故郷・讃岐国。野が広く山が低いのが特徴。円錐形の丘が散在するほか、池が多数ある。讃岐平野最大のため池「満濃池」。821年、空海はこの池の堤防を修築。満濃池の水は6月に放たれる。空海の誕生日である6月15日には、生誕の地と伝えられる善通寺などで催しが開かれる。
讃岐に生まれた空海。叔父に当たる阿刀大足に教わるなどして学問を習得してきた。父方の佐伯氏は、大和朝廷に敗れ捕虜となって東北から連れてこられた人々の末裔。アイヌ民族であった可能性も。
空海の生まれ故郷・讃岐は唐に近く、777年には渡ったとされている。空海が植えたとされる木が善通寺に今も残る。年間10万人が訪れる四国。空海目当てで訪れる人も多数。
15歳で故郷・讃岐国を離れた空海。以後、二度と故郷には帰らなかった。当時の桓武天皇は中国風の専制君主を目指し、大規模な国家事業を次々起こした。空海は当時最難関の大学に入ったが、儒教中心の授業ばかりであることに失望し退学。仏教の道に進む決意を記した書物「聾瞽指帰」は今も金剛峯寺に残る。戯曲形式で書かれた日本初の思想書でもある。
紀元前5世紀、インドにて開かれた仏教。この世の苦しみは欲望を持つことにより生まれるとし、全ての欲望を断つことを求めるもの。実践が難しく、釈迦の死後は広まらず。後に生まれた密教は人間の欲望を否定しないもので、日本でも山岳修験の人々など中心に広まった。
大学を退学して仏教の道に進んだ空海。山岳修験の人々と交流を深め、密教の断片を学んでいった。修行の地は高知県室戸岬。空海がこもったとされる洞窟は今も残る。ここで記憶術などに取り組んだといわれている。同じ頃、最澄は高名な僧侶に。新たな仏教界のリーダーとしての地位を確立していく。共に唐へ渡ることを目指していた。
804年、空海や最澄らが遣唐使などとして中国へ。道中、荒波で船は何度か沈没。たどり着いたのは中国福建省の赤岸村。現在は大規模な高速道路の工事が行われている。巡礼で訪れる日本人客の増加によるもので、「空海道路」とも呼ばれる。当時、空海ら遣唐使は上陸を許されなかった。大使が手紙を書いても認められなかったが、空海がその文才をもって手紙を作成したところ、その表現力が高く評価され上陸が許されたという逸話がある。
かつて空海が上陸した中国福建省。付近には空海大師紀念堂がある。空海像は村人らの参拝の対象に。空海の伝説を語り継いできた現地の林さん。家伝には空海の感謝状の写しも。村人の多くはこれを本物と信じているが、裏付ける証拠はない。一族は争いにより散り散りとなったが、村に紀念堂ができてからは子孫らが再び戻り始めたという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月21日放送 1:27 - 2:27 NHK総合
ザ・プロファイラー 〜夢と野望の人生〜伝説とともに生き続ける巨人 弘法大師・空海
留学期間20年間を全うせず帰国した空海。帰国後は大宰府に留め置かれたが、唐から持ち帰った法具の価値などを書物に記して朝廷へ提出。これを見つけたのが天台宗の開祖で当時の有力者・最澄。天皇からの命で密教をより深く知る必要があったという。空海は最澄を弟子とし、一部の経典を貸与。関係が絶たれたあとも空海は各地を放浪。

2024年7月20日放送 1:45 - 2:34 NHK総合
NHKスペシャル(空海の風景 前編 大唐渡海の夢)
司馬遼太郎が生前集めた資料2万点を展示する記念館。著作「空海の風景」は昭和48年発表の作品。空海は医学、薬学、建築学などに精通。日本初の私立学校も設立。
空海の故郷・讃岐国。野が広く山が低いのが特徴。円錐形の丘が散在するほか、池が多数ある。讃岐平野最大のため池「満濃池」。821年、空海はこの池の堤防を修築。満濃池の水は6月に放たれる。空海の誕生日である6月[…続きを読む]

2024年1月31日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
伝承によると、平等院鳳凰堂の境内には酒呑童子、玉藻前の骸が納められているという。陰陽師は酒呑童子の住処を突き止め、討伐に成功したとされる。玉藻前は美女に化け、上皇を誘惑して朝廷を混乱に陥れるが、陰陽師によって退治された。この強い妖怪2体の死体を置くことで、他の妖怪の侵入を防いでいたという。また、平安京に都が移る前、天皇の近親者が次々と亡くなり、天災も重なった[…続きを読む]

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