夫婦ふたりで里山暮らしをしている梅木さん夫婦の生い立ちを紹介。好彦さんは親の反対を押し切って、集団生活をしながら自給自足の暮らしを目指した。自分一人で一から農業を始めてみたいと全国を放浪し、30歳を過ぎてようやく見つけたのが山深い丹後半島の村だった。人から見れば不便で孤独な毎日も好彦さんには理想の暮らしだったが、40歳を過ぎた頃に気持ちに変化が現れて目の見えない人を支える活動に参加するようになり、そこで知り合ったのが久代さんだった。
裁縫が趣味の久代さんは、若い頃に手に職をつけようと和裁士の資格を取得したという。久代さんは大阪・岸和田で表具屋を営む家庭の次女に生まれ、2歳で耳が聞こえなくなった娘に父親は毎日日記を書かせて懸命に言葉を教えたという。高校の先生の助言で和裁の学校に進学し、資格を習得。22歳で最初の結婚をしたが、結婚生活は長続きせずに離婚し、追い打ちをかけるように視力まで衰え始めたという。周りの世界から1人取り残される恐怖から自殺も2度試みたという。そんな苦しみの中で、久代さんは40歳の頃に眼科の先生から『目の病気というよりも心の中に目があるから心の持ち方が非常に大事』と言われ、最初はわからなかったがそのかけられた言葉がその後の人生の道標になったという。
裁縫が趣味の久代さんは、若い頃に手に職をつけようと和裁士の資格を取得したという。久代さんは大阪・岸和田で表具屋を営む家庭の次女に生まれ、2歳で耳が聞こえなくなった娘に父親は毎日日記を書かせて懸命に言葉を教えたという。高校の先生の助言で和裁の学校に進学し、資格を習得。22歳で最初の結婚をしたが、結婚生活は長続きせずに離婚し、追い打ちをかけるように視力まで衰え始めたという。周りの世界から1人取り残される恐怖から自殺も2度試みたという。そんな苦しみの中で、久代さんは40歳の頃に眼科の先生から『目の病気というよりも心の中に目があるから心の持ち方が非常に大事』と言われ、最初はわからなかったがそのかけられた言葉がその後の人生の道標になったという。