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「河内長野市(大阪)」 のテレビ露出情報

たくさんの保護猫と過ごせるフリースクールが大阪・河内長野市にある。学校に行けない子どもたちは猫の世話をしながら日々を過ごしている。施設を運営している福本亜弥さん。動物とのふれあいで子どもたちの心を癒せる居場所づくりを目的にスクールを開いた。スクールを開くきっかけとなったのは長女の凛さんの存在だった。当時、小学生だった凛さんは人間関係の悩みから不登校になり4年たった今も中学校に通えていない。福本さんは7年続けた仕事をやめて寄り添ったがそれでも凛さんは家から出られない日々が続いたという。抜け出すきっかけはある出来事だった。福本さんは「猫の虐待のニュースを見て興味あるか話したらうんみたいな返事だったから。じゃあちょっと一緒にやってみると言ったらやってみたいって」などコメント。学校に行けなくてもいい。ただ、毎日を笑顔で過ごしてほしい。福本さんは近所の譲渡会に凛さんを誘った。凛さんに少しずつ保護猫を守る気持ちが芽生えた。凛さんは「里親が決まって幸せになってほしい。お世話を頑張る」などコメント。猫と子どもがともに過ごせる居場所を作りたいと自宅を改装して4年前からフリースクール「ゆきレオ」を開校。子どもたちがお世話する保護猫の新しい飼い主を見つけるために猫を紹介する画像を作った。子どもたちは画像編集の技術を共有しあいながら身につけていった。これまでに288匹の新しい飼い主を見つけることができた。さらに福本さんが注目しているのはアニマルセラピーの効果。動物とふれあうとオキシトシンと呼ばれる幸せホルモンがストレスを軽減していくれるというもの。笑顔の子どもたちの姿に福本さんは手応えを感じている。不登校の子を持つ保護者と悩みを打ち明ける場所もできた。スクールに通う保護者から紹介された地元の集い。スクールの収入だけでは採算が合わずアルバイトを掛け持ちしている悩みなどを打ち明けた。保護者たちと話すなかで「家族が一番なんで、そこをサポートしつつ今自分がやっているフリースクールと保護猫活動を継続していく。継続させつつ広げていきたい」という目標ができたという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月17日放送 8:14 - 9:50 フジテレビ
サン!シャインサン!シャイン的 未読ニュース
今後、再利用や再展示される大阪・関西万博のレガシー。シンボルの大屋根リングは石川県珠洲市の復興住宅の資材になる。84のパビリオンについては、約2割がレガシーとして引き継がれる予定。イタリア館にあったファルネーゼのアトラス像は「天空のアトラス イタリア館の至宝」で展示される。オランダ館の球体についても詳細は未定だが、そのまま建物が淡路島に移設されるという。よし[…続きを読む]

2025年8月7日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルフラッシュNEWS
きのう、フィリピン残留日本人2世の82歳の男性が日本を訪れ、大阪府に住む異母弟と対面した。男性は太平洋戦争の混乱期に日本人の父親と生き別れたため日本国籍が取得出来ていない。支援団体の調査で父親は帰国していて異母弟が大阪府で暮らしていることが分かり、今回80年越しの対面が実現。男性は「兄弟としてこんなに長く会えなかったのは寂しいことだった」と話し、帰国後の父親[…続きを読む]

2025年8月1日放送 7:00 - 7:45 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(特集)
学童保育は月4000~6000円未満の自治体の割合が最も高く、夏休みも運営されるが定員や親の勤務状況などの理由で利用できない人もいる。こうした中、子どもたちの居場所をどう作るか。大阪府河内長野市では、4年前から幼稚園の教室を利用して夏休み限定で自治体独自の預かり事業を行っている。学童保育ではないため、親の勤務の要件はなく、誰でも利用することができる。見守りを[…続きを読む]

2025年3月5日放送 21:00 - 21:54 テレビ東京
何を隠そう…ソレが!(国産がなくなる!?愛すべき絶滅危惧企業SP)
絶滅危惧企業ランキング第5位は河内長野市で国産爪楊枝を作る菊水産業。全盛期は24社以上あったが今では2社になった。爪楊枝の上部に入っている溝は削る時に摩擦で焦げた部分をこけしに似せて誤魔化すため。このこけし楊枝を広めたのが河内長野市で80年代は国内シェア95%以上だった。90年代に安価な楊枝が日本に上陸し、こけし楊枝を作る企業は激減した。末延社長が4代目を任[…続きを読む]

2025年2月21日放送 23:58 - 0:43 TBS
news23戦後80年 つなぐ、つながる
外山禎彦に話を聞いた。外山は太平洋戦争末期の1944年に郊外へ学童疎開した。過酷な集団生活の中で軍歌の替え歌が密かに歌われるようになったという。替え歌は全国で歌われたが、疎開先で口伝えで広がったと考えられる。替え歌は少年飛行兵養成の施設でも歌われた。予科練平和記念館・歴史調査委員の中川龍が当時の体罰について説明。立命館大学の鵜野教授は「戦争体験者の間に替え歌[…続きを読む]

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