草なぎ剛は大杉漣の勧めで斉藤和義と連絡先を交換し、新たな縁を繋いでくれた。しかし友達との別れは突然やって来てしまい、草なぎ剛はずっと現実を受け止められなかったという。大杉漣が生前愛用してきたギターは草なぎ剛が形見として譲り受けることとなった。突然の別れから2か月後に開かれた大杉漣のお別れ会、集まったのは大杉漣を愛した1700人の仲間たちだった。草なぎ剛は大杉漣への思いを弔辞に込めた。草なぎ剛は新しい作品に挑戦する時、必ず大杉漣の墓を訪れていた。草なぎ剛の”わたしの歌”である「歌うたいのバラッド」を斉藤和義と天国の大杉漣へ届けることとなる。