泉岳寺には討ち入りを果たした赤穂浪士47名の墓があることから忠臣蔵ゆかりの名所として知られる。毎年討ち入りが行われた12月14日には赤穂義士祭が開かれている。吉良邸討ち入りを果たした47人は主君の墓がある泉岳寺まで歩いたが境内に入った時1人いなくなっていた。姿を消して生き延びたのは寺坂吉右衛門。赤穂浪士たちは討ち入りから49日後に全員切腹することになるが寺坂吉右衛門は83歳まで生き延びた。大石内蔵助は討ち入りの真意が正確に世間に伝わる事を願っていた。そのため真意を後世に残すよう寺坂に頼んだ可能性があるという。