およそ300年前公園になる前の上野を描いた絵には巨大な寺院のような建物が江戸幕府が開いて間もない頃に二代将軍に秀忠に対峙した僧侶の名前を天海大僧正。京の都は鬼門にあたる比叡山に建てられた延暦寺に守られている。ならば、江戸城の鬼門にあたる上野の山にも江戸を守護する巨大な寺院を建てるべきと進言。それが東叡山寛永寺。当時の寛永寺たるや、今の上野公園に重ねると境内がほぼそのまま公園になった。江戸中期の寛永寺は参拝者で大賑わいの絵は根本中堂の場所は噴水広場のあたりに建っていた。天海は広大な寛永寺の境内に京都や市がの観光名所に見立てた様々なものを作った。月の松で知られる清水観音堂は土台である木組みの懸造りや檜舞台の雰囲気まで京都の名刹の清水寺そっくりに作られた。そして不忍池の真ん中に作った弁天島は、弁財天が鎮座する琵琶湖の竹生島をイメージ。さらに天海は、吉野からヤマザクラの苗木を取り寄せて上野の山を桜の名所に変貌させた。その狙いは江戸時代のテーマパークのような寺にすることが狙いだった可能性がある。
住所: 東京都台東区上野桜木1-14-11
URL: http://www.kaneiji.jp/
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