1945年5月22日、第32軍は米軍が首里に迫ってきたため多くの住民が避難していた南部への撤退を決めた。逃げた先にいた住民などが戦闘に巻き込まれ、沖縄戦で亡くなった人の半数が犠牲になったと言われている。瀬名波さんは「南部撤退がなければ何万もの住民を犠牲にしないでよかった」などと話した。いわば第32軍司令部壕は沖縄戦の悲劇の始まりの地。多くの住民を戦禍に巻き込む決定を下した司令部。南部撤退を決めた牛島満司令官の孫、元教員の牛島貞満さん。40歳を過ぎてから祖父が残した戦争の責任を探し続けている。住民や元兵士から祖父のことを教えてもらい、どうやって返したらいいのかお礼をしたらいいのかといったら、教員なので沖縄戦の本当の姿を子どもたちに伝えたいという。住民の犠牲者を増やした南部撤退を自分ならするかしないか、この日は豊崎中学校で生徒に問いかけた。参加した生徒は「日本兵が住民に嘘の情報を流していたという話が印象的」「一般住民を巻き込んでいるのはウクライナもイスラエルも一緒。同じようにはなってほしくない」などの声がきかれた。戦争体験者が年々少なくなる中、事実を伝える戦跡をどう活用し未来に繋いでいくか。瀬名波さんは「沖縄戦の実相を伝える永遠の語り部にしたい。それが第32軍司令部壕」などと述べた。