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「牛島満第32軍司令官」 のテレビ露出情報

第32軍が創設されたのは沖縄戦開戦の1年前、1944年3月22日。その後、実際の配備が始まると、一気に沖縄は日本軍の色に染まっていった。男性が入学したばかりの県立農林学校にも突然日本軍が入ってきた。今も立つ校門には無数の弾痕が残っている。男性は「司令部になった。すっかり学校生活は変わった。寮を追いやられた。校舎はすべて軍が接収した」と語った。その価値観に染め上げられた。男性は「戦陣訓を心に染み込んでしまうまでたたき込まれた。自らたたき込んだ」と語った。そして飛行場建設に駆り出される。後に米国軍嘉手納基地となる中飛行場。いま世界遺産となった座喜味城で陣地の構築に加わった。生活も文化も破壊され、沖縄の風景は変わっていくばかりだった。
その年の暮れ。司令部は女性の自宅近くからこの小高い丘に構築した壕に移動していたが、より強固な壕を求め首里城の近くに移っていった。そのすぐ近く、沖縄県立首里高校の前身、県立第一中学に通っていた男性も軍に学校を追い出され、陣地構築の日々を送った。卒業まで1年を残し、強制的に繰り上げ卒業。鉄血勤皇隊に組み込まれ、家族に最後の別れを告げてくるよう命じられた。男性は「朱里に戻る時の悲しい思いは忘れられない。僕の一生はこれで終わりなんだなと思いながら、1人で帰っていったこと忘れられない」と語った。数日後、米国軍が沖縄本島に上陸。進軍の目的地・首里城では司令部壕の構築がなお続いていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月22日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
第32軍司令部壕の作業に動員された男性は、いま軍のありように抱いた疑問を思い出す。かつての琉球王国の象徴・首里城。日本軍がその地下に学徒を動員して築いた司令部壕は5つの坑口と坑道が作られた。全長は約1km、深さは約30mに及ぶ。司令部壕など戦跡を巡るフィールドワークが行われた。沖縄平和祈念資料館友の会・中村真事務局長は「ここに垂直に掘られた入り口があった」と[…続きを読む]

2024年6月21日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
1945年5月22日、第32軍は米軍が首里に迫ってきたため多くの住民が避難していた南部への撤退を決めた。逃げた先にいた住民などが戦闘に巻き込まれ、沖縄戦で亡くなった人の半数が犠牲になったと言われている。瀬名波さんは「南部撤退がなければ何万もの住民を犠牲にしないでよかった」などと話した。いわば第32軍司令部壕は沖縄戦の悲劇の始まりの地。多くの住民を戦禍に巻き込[…続きを読む]

2024年5月23日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
沖縄戦で旧日本軍が造った司令部壕の新たな映像。司令部壕は旧日本軍の第32軍が造った。当時1000人以上がいたと考えられている。場所は首里城の地下で、攻撃に耐えられる強い地盤だったこと、戦況を把握しやすい高台だったことから選ばれた。全長およそ1キロの坑道が、南北に縦断するように掘られている。4年前に第5坑道の映像が公開され、新たに第2、第3坑道が撮影された。そ[…続きを読む]

2024年5月22日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(ニュース)
沖縄戦で、旧日本軍が造った司令部壕の新たな映像。司令部壕は旧日本軍の第32軍が造った。当時1000人以上がいたと考えられている。場所は首里城の地下。攻撃に耐えられる強い地盤だったこと、戦況を把握しやすい高台だったことから選ばれた。全長およそ1キロの坑道が、南北に縦断するように掘られている。4年前に第5坑道の映像が公開され、新たに第2、第3坑道が撮影された。そ[…続きを読む]

2023年8月14日放送 2:43 - 3:38 NHK総合
NHKスペシャル戦い、そして、死んでいく~沖縄戦 発掘された米軍録音記録~
1945年6月、沖縄戦はすでに2か月を超えていた。5月末に日本人司令部のある首里を制圧し事実上の勝敗は決していたが、日本軍は最南端へ撤退しながらの持久戦を決断。そこには大勢の住民も避難していた。録音記録には鉄の暴風と呼ばれたアメリカ軍の砲撃音が残されていた。壕に立てこもって抵抗を続ける日本軍を前に、アメリカ兵たちの声は狂気を帯びていった。ランキン伍長は日本兵[…続きを読む]

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