東日本大震災で被災した福島県浪江町に原発事故で被ばくし出荷できなくなった牛を飼育し続けている男性がいる。牧場では原発事故で被ばくした約180頭の牛を飼っている。牧場主の吉沢正巳さんは原発事故の前まで畜産農家として肉用牛を出荷していたが、事故を境に牛との向き合い方は大きく変わった。原発事故で人間は避難したが、残された牛たちは餓死していった。一方避難するときに牛を逃がした農家も多くおり、野生化した牛も出たため国の指示で殺処分が進められた。牛の命を守ろうと世話を続けた吉沢さん。常に課題となったのは餌代の確保だった。吉沢さんは全国のスーパーや食品工場などに掛け合い売れ残りや廃棄食材を引き取る交渉をしてきた。こうした工夫を重ねても餌代は月に30万円ほどかかる。吉沢さんは東京電力からの賠償などで得た貯金に加えみずからの年金を餌代に充ててきた。支援者からの寄付金も募って何とか牧場を運営している。今、吉沢さんが直面している課題は年老いた牛たちとの向き合い方。約20年と言われる牛の寿命。牧場では多くの牛が衰弱している。今年1月早朝の牧場で年老いた1頭の牛が立ち上がれなくなっていた。吉沢さんは一頭一頭の最期に立ち会ってきた。500キロ近い牛を最後まで世話しようと牛舎に運び込む。吉沢さんは牛は自力で食べられるかぎり餌を与え続けた。商品ではなくなった家畜の命とどう向き合うのか。吉沢さんは今も自問自答を続けていると言う。震災から13年。吉沢さんと被ばくした牛たちの日々は続く。