- 出演者
- 北郷三穂子 八尋隆蔵 田代杏子 上岡亮 山田賢治 一柳亜矢子 坂下恵理 山口瑛己 黒田賢
オープニングの挨拶。
札幌市西区の琴似屯田兵村兵屋跡は、北海道の開拓と守備に当たるため明治時代に入植した屯田兵の住居などを復元していて国の史跡に指定されている。地域の住民などおよそ20人が集まり豊作を願ってくわ入れ式をした。屯田兵は当時住居の敷地に菜園を作っていたということで、地元の町内会では暮らしぶりを伝えていこうとこの史跡の一角に菜園を作り毎年作物を栽培している。参加者は150平方mほどの菜園にじゃがいもの種芋の植え付けや枝豆などの種まきを行った。9月上旬ごろには収穫祭を行うことにしている。
釧路市の丹頂鶴自然公園で国の特別天然記念物のタンチョウのヒナがことしも愛らしい姿を見せている。今月8日雄の「クー」と雌の「タカミ」のつがいが暖めていた卵からヒナがかえっていることが確認された。公園によるとヒナは3か月ほどで親鳥と同じぐらいの大きさまで成長するという。丹頂鶴自然公園では現在14羽のタンチョウを自然に近い状態で飼育していて、公園でのヒナのふ化は5年連続。
ホクレンによると昨年度道内で生産されホクレンが生産者から引き受けた生乳の量は391万3647トンで前年度に比べて12万4000トン減少した。400万トンを割り込んだのは2020年以来4年ぶり。地域別で見るとホクレンの支所別で帯広管内が125万8916トン、北見管内が58万3478トンなどと道内12あるすべての支所の管内で前の年度を下回った。去年夏の猛暑で乳量が減ったことや、新型コロナによる生乳の需要低迷などを受けて道内の生産者団体が2年連続で生乳の生産抑制に踏み切ったことなどが影響したという。ホクレンは今年度需要の回復などを受けて目標の生産乳量を全道で403万トンと設定し生産者団体もおよそ3年ぶりに生産抑制を行わないことにしている。ただ、これまでの生産抑制で乳牛の数も減少していることなどから目標どおりの乳量が確保できるか注目される。
南海トラフ巨大地震が起きた際に津波による被害が想定されている和歌山県すさみ町で、町の南部の高台に役場の支所機能も備えた新たな避難所が完成した。今回新たに完成したのは町の南部にある江住地区の避難所で海抜およそ28メートルの高台に造られた。和歌山県南部にあり海に面する、すさみ町は南海トラフ巨大地震で沿岸部が津波の被害を受けると想定されていて町役場など公共施設の高台への移転を進めている。施設には、およそ40人が寝泊まりできる避難室のほかバリアフリーのシャワー室も設けられている。また、これまで浸水が予想される場所にあった役場の支所もこの避難所に移転するという。さらに近くには防災機能を備えた道の駅もあることから町では町の南部で大きな被害が出た際の現地対策本部としても利用したいとしている。すさみ町防災対策室は「公共施設の高台移転を今後も着実に進め安心して暮らすことができるすさみ町をつくっていきたい」と話している。
近畿日本鉄道はことし10月から奈良線や京都線などで新型の一般車両の運行を始めることになった。近鉄では特急以外の車両の30%余りに相当するおよそ450両が昭和40年代に製造され老朽化が課題となっていた。伝統の赤い色を基調とした新型車両は車内の混雑状況に応じて横並びのロングシートと進行方向を向くクロスシートとを切り替えられるのが特徴で、車両の中で2つのタイプのシートを同時に配置することも可能だという。また中央のドア付近にはベビーカーや大型荷物などを置くためのスペ ースが1両当たり2か所設置され、床の色は芝生をイメージした緑色となっている。会社はこの新型車両を今年度と来年度で合わせて116両を導入する計画で、来年度からは大阪線や南大阪線などでも運行を始めることにしている。
らっきょうの生産量が高知県内で最も多い黒潮町でらっきょうの出荷作業がピークを迎えている。黒潮町は海沿いの水はけのよい砂地の畑を利用したらっきょうの栽培が盛んで、53軒の農家が県内の出荷量の8割に当たるおよそ110トンを生産。黒潮町のらっきょうの収穫は来月中旬まで続き全国各地に出荷されるという。
子どもたちに米作りを通してふるさとに愛着を持ってもらおうと高知市の小学生が地域の人に教わりながら「もみまき」を体験した。高知市の介良小学校では農業体験を通して稲作が盛んな地域を好きになってもらおうと毎年米作りを体験していて小学5年生およそ60人が、もみまきに挑戦した。はじめに子どもたちは地元が山地でコシヒカリの仲間、白鷺米に感謝を込めて卒業生が制作した「白鷺米音頭」と呼ばれる歌を披露した。子どもたちはこのあと田植えを行い9月に収穫体験をしたあとみんなでおにぎりにして食べるという。
被爆者の高齢化が進む中、広島市は原爆の実態を次の世代に伝えようとみずからの体験を語る被爆体験証言者と被爆者の体験を語り継ぐ被爆体験伝承者、被爆者の家族が体験や思いを伝える家族伝承者の養成に取り組んでいる。今年度の募集が始まり、きょう広島市の原爆資料館で開かれた説明会には33人が参加した。説明会では市の担当者が被爆体験証言者はおおむね1年間、被爆体験伝承者と家族伝承者はおおむね2年間、被爆の実態などについて研修を受けることや、家族伝承者は家族である被爆者に証言の内容を確認してもらうことが必要だと説明した。こうした研修を受けたあと修学旅行生などに被爆体験を伝える活動を行うという。応募は今月31日まで。広島市の平和推進課で受け付けている。広島市・西田満被爆体験継承担当課長は「被爆者本人の思いとか体験を後世に引き継ぎたいという熱い思いがある方、そういう方に確実に後世に伝えてもらいたい」とコメント。
呉市にある田んぼで地元の小学生が手作業での田植えを体験した。田植えは子どもたちに日本の伝統的な稲作について知ってもらおうと行われ、呉市立昭和南小学校の5年生、18人が体験した。きょう植えたのは広島県では南部を中心に栽培されるヒノヒカリの苗で児童たちはひざ近くまで泥んこになりながら作業に当たっていた。児童たちは10月に稲刈りにも挑戦するという。
東北を代表する夏祭り「盛岡さんさ踊り」をPRするミスさんさ踊りの5人が決まった。ことしの「ミスさんさ踊り」には64人から応募があり、おととい1次審査を通過した12人が盛岡市で最終審査に臨み、一人一人さんさ踊りにかける思いを語ってアピールしていた。来月から踊りの特訓を重ね、まつりのパレードでは先頭で踊るほか国内外で盛岡市や岩手県の観光PRも行われる。盛岡さんさ踊りは8月1日から4日まで行われる。ミスさんさ踊り・外山瑠璃子さんは「チームワークをいちばんに考えていて、5人で仲良く過ごしていきたいと思う」とコメントした。
東北で唯一の闘牛として知られる久慈市の平庭では闘牛大会が始まった。久慈市山形町の平庭高原で行われた闘牛大会は毎年、春から秋にかけて4回開かれるが、ことし最初の大会となったきのうは2歳から3歳の若い牛が参加した。平庭闘牛大会の次回の開催は来月9日でその後、9月と10月にも予定されている。いわて平庭高原闘牛会・柿木敏由貴副会長は「頑張って頭を合わせてくれた。お客さんが満足いけるような取り組みを勢子スタッフ一同、一丸となって無迎えたい」とコメント。
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海洋少年団は海に親しみながら子どもたちの健全な育成を図ろうと戦後、全国各地に設立され鹿児島でも昭和53年に結成されたが、近年は指導者の不足や団員の減少が進みことし3月に廃団となった。こうした中、海上自衛隊や海上保安庁の退職者などがボランティアとして指導に当たることになり今回「薩摩団」という名称で活動を再開することになった。きのうは桜島フェリーターミナルで小学3年生から高校3年生までの団員4人が参加して結団式が行われ、4人は赤と白の旗を振って体のシルエットで連絡を取る手旗信号を披露した。薩摩団では月に2回手旗信号や船で使うロープを結ぶ訓練などを行うということで全国各地の海洋少年団とも交流を深めていきたいとしている。児島工業高等専門学校2年・揚野零央さんのコメント。
鹿屋市の「かのやばら園」はおよそ8ヘクタールの敷地に3万5000株のばらが植えられている国内でも最大規模のばら園。白いばらに囲まれた園内のチャペルではおととい鹿児島市のカップルの結婚式が行われた。このチャペルは全国の観光地の中からプロポーズにふさわしい場所として“恋人の聖地”に選ばれているが、式には先月26日に亡くなり、この場所を恋人の聖地に選定した桂由美さんも出席する予定だったという。チャペルでは挙式のあと鹿屋女子高校の生徒がばら園のばらなどで染めた色とりどりの衣装を披露するファッションショーを行った。
東日本大震災で被災した福島県浪江町に原発事故で被ばくし出荷できなくなった牛を飼育し続けている男性がいる。牧場では原発事故で被ばくした約180頭の牛を飼っている。牧場主の吉沢正巳さんは原発事故の前まで畜産農家として肉用牛を出荷していたが、事故を境に牛との向き合い方は大きく変わった。原発事故で人間は避難したが、残された牛たちは餓死していった。一方避難するときに牛を逃がした農家も多くおり、野生化した牛も出たため国の指示で殺処分が進められた。牛の命を守ろうと世話を続けた吉沢さん。常に課題となったのは餌代の確保だった。吉沢さんは全国のスーパーや食品工場などに掛け合い売れ残りや廃棄食材を引き取る交渉をしてきた。こうした工夫を重ねても餌代は月に30万円ほどかかる。吉沢さんは東京電力からの賠償などで得た貯金に加えみずからの年金を餌代に充ててきた。支援者からの寄付金も募って何とか牧場を運営している。今、吉沢さんが直面している課題は年老いた牛たちとの向き合い方。約20年と言われる牛の寿命。牧場では多くの牛が衰弱している。今年1月早朝の牧場で年老いた1頭の牛が立ち上がれなくなっていた。吉沢さんは一頭一頭の最期に立ち会ってきた。500キロ近い牛を最後まで世話しようと牛舎に運び込む。吉沢さんは牛は自力で食べられるかぎり餌を与え続けた。商品ではなくなった家畜の命とどう向き合うのか。吉沢さんは今も自問自答を続けていると言う。震災から13年。吉沢さんと被ばくした牛たちの日々は続く。
昭和59年5月13日、東京・東村山市の西武遊園地と埼玉・所沢市の旧ユネスコ村の間を走っていた小型SLの廃止が決まり、さよなら運転が行われた。このSLは昭和47年日本の鉄道100周年を記念して運転が始まった。レールの幅が狭いため小型のSLが使われおとぎ列車とも呼ばれた。旧ユネスコ村の隣にプロ野球の西武球場がオープンしたためSLの代わりにコンクリートの軌道を走る新交通システムに生まれ変わることになった。当時首都圏を走る最後のSLだったため、さよなら列車は子どもたちなどで満員。沿線にはSLファンが立ち
平成19年5月13日、山口県美祢市で民間が管理、運営する全国で初めての刑務所が完成し開所式が行われた。全国の刑務所の収容者が定員を超え過剰収容などが問題になっていたため、民間の力を借りることになった。新しい刑務所「美祢社会復帰促進センター」には窃盗や薬物犯罪など比較的軽い罪で初めて服役する受刑者が収容される。周囲にコンクリート塀がなく受刑者の部屋は個室。窓は強化ガラスで鉄格子がない。一般社会に近い生活環境を整えるとともに、職業訓練に力を入れ受刑者が早く社会復帰できるよう考えられている。
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- 美祢市(山口)美祢社会復帰促進センター
平成24年5月13日、豊臣秀吉の小田原攻めのとき、この地であった戦を再現する「寄居北條まつり」が行われ武者姿の男たちが河川に臨んだ。1590年、荒川に臨む鉢形城の主、北条氏邦は僅か3500の兵で豊臣方の前田上杉勢5万を相手に必死の攻防戦を繰り広げた。まつりはその戦の再現。大砲の音がとどろく中河川敷で鎧兜を身に着けたおよそ500人の男たちが北条方と豊臣方に分かれて戦う。1か月に及ぶ攻防の末、北条氏邦は兵の身の安全を条件に城を明け渡した。400年余りの時を経てよみがえる歴史絵巻。
一柳アナは旧ユネスコ村や西武遊園地にいった記憶があるとはなした。NHKアーカイブスの告知。SLに言及。
宇治茶の産地、京都府宇治田原町ご当地グルメ「茶汁」を紹介。季節ごとに変わる具材はほとんどが宇治田原町産。味の決め手となるみそは毎年、自分たちで作っているそう。主役の京番茶とは新芽の根元にある親葉を蒸して乾かし強火でいったもの。スモーキーな香りが特徴。茶汁は交流館のある湯屋谷地区の人たちが100年以上食べてきた歴史ある郷土料理。まだ車がない時代お昼ご飯は茶摘みの間に茶畑で食べていた。お弁当と一緒にみそ玉を持参。茶畑の近くでみつばやせりを摘み飲むために沸かした番茶で即席のみそ汁を作ったのが茶汁の始まりだそう。しかし車で家に帰ってお昼ご飯を食べる人が増え、畑で茶汁を食べる機会は少なくなった。湯屋谷の食文化をなくしてはいけないと、谷村稔さんを中心とした地元の人たちが5年ほど前から交流館で茶汁の提供を始めた。今では町内の学校給食で茶汁が提供されたり茶汁を学ぶ課外授業も行われたりするなど次の世代に受け継がれている。