2000年代初頭、国民人気に支えられた小泉政権。2003年7月、突破口を見いだしたい野党は、後に政権交代を成し遂げる野党首脳らが、非自民党の勢力結集を急いでいた。2003年9月、当時の最大野党・民主党が自由党を吸収する形で合併。いわゆる「民由合併」が実現した。衆議院議員は137人、参議院議員は67人、合計204人。一方、同じ月に自民党総裁選で再選を果たした小泉純一郎総理大臣(当時)は、その勢いを借りて解散総選挙を決断した。与野党は早くも真っ向からぶつかり合う局面に突入した。結果は、民主党が40議席を積み増しして177議席に、比例では第一党へと躍り出た。与党は過半数を維持したが、自民党は10議席減らして237議席になった。共産党、社民党は大敗を喫した。この時を境に自民党と民主党、2党の占める議席が8割を優に超える時代に突入。民主党が世に問い続けた二大政党制の実現を、大きく手繰り寄せた。