広島に原爆が投下されてからまもなく79年。今年3月平和公園にある一本の道が出来た。ちょうどこの場所にかつてあった天神町の道を再現した。広島市の平和公園は原爆投下前は天神町を含む中島地区と呼ばれていた。川に囲まれた中島地区は交通の要衝として栄えていた。店先にはチンドン屋が足袋の宣伝で練り歩く姿や映画館もあり多くの人が生活を営んでいた。しかし爆心地に極めて近いこの町は猛烈な爆風や熱線で消え去ってしまった。道の再現に関わった広島市の職員・西田満さんは長年、中島地区に関する調査をしてきた。今回再現した道と合わせて、中島地区の営みを奪った原爆の恐ろしさを感じ取ってもらいたいと考えている。西田さん「こういう道路もあって、多くの人が生活していた。原爆は公園の上に落ちたのではない。あくまでも人々の頭上に落ちた」などと話した。被爆2世の清野久美子さんは去年、94歳で亡くなった鉄村京子さんは天神町に住んでいた。母・京子さんの家は爆心地から約300mの場所にあった。当時京子さんは仕事のため約4kmの場所で被爆したが、町に残った3人の家族を亡くした。清野さんは中島地区に住んでいた人たちのことを伝える活動をしている。清野さんは「平和公園の中は昔の町の墓だ。とても残酷なものが広島に使われたのだとしっかりと覚えとってもらいたい」などと話した。