現在、放送中の連続テレビ小説「虎に翼」の主人公は、現在の司法試験に女性として初めて合格した3人のうちの1人だ。続く4人目の合格者が東北で初めての女性弁護士となった。秋田市の千秋公園にほど近いこちらの建物は、現在は県税理士会館があるこの場所に秋田の人たちに頼られた女性弁護士の事務所はあった。日本初の女性弁護士の1人・三淵嘉子さんがモデルの連続テレビ小説「虎に翼」は、戦前から戦後にかけて法律家制度が大きく変わる激動の時代を行きた女性法律家の姿を俳優の伊藤沙莉さんが演じている。西岡光子さんは、ドラマの舞台のモデルとなった明治大学専門部女子部法科に三淵さんの1年後輩として入学した。背中を押したのは、ふるさと秋田の悲惨な社会情勢だった。
「ちょうど昭和8~9年の頃は、世界的不況と東北の凶作に泣く小作農がその娘を都会に身売りせざるを得ない頃だったのでこの事実を見聞きするにつけ、弁護士にと志を立てた私は、女が売られないような世の中にしなくてはと考え始めていた。」などその思いが実り、昭和14年に高等試験に合格した。女性として史上4人目の合格者で東北では初めての女性弁護士となった。戦後に憲法の制定で法律や制度が大きく変わる中、秋田に事務所を開いた西岡さん。しかし、待っていたのは戦前の価値観を押し付けられ追い詰められる女性たちからの相談だった。戦後のある日にラジオに出演した西岡さんは、憲法で結婚の自由が保障され”結婚ができないことを悲観して心中する必要は、もうない”と話す。翌日、”風呂敷包みを持った娘さん”が訪ねてきたという。「きのう、ラジオを聞いたけれど結婚したくても家でさせてくれないから助けてください」と言われたという。心中する覚悟で薬まで持ってきた女性を西岡さんは家に置き、その父親を説得する。しかし、応じてくれない。 父親は、「相手の男性は、隣の小作人の家の子供だ。格が違うからやれない」などと言ったが、そこで 一計を案じて「じゃあ、私の養女にする。すると、親父さんの娘じゃなくなるから、その後結婚させるよ」などと言った。 西岡さんの体を張った説得でようやく折れた父親。女性を家に置いた期間は、1か月以上にもなったという。
西岡さんの長男で弁護士の西岡清一郎さんは、憲法で保障されたはずの人権がまだ十分に尊重されない時代に西岡さんは常に女性や子どもなど”弱者の側に立って闘う人”だったという。非常に正義感の強い人で、はっきりしたものを言う人だった。西岡さんは「母がよく言っていたのは、人を信じなさい・だますよりはだまされなさい」。さらに西岡さんは、「(母は、)人の心を動かせるような力を持った人だと思う」などと語った。仕事を”転職”といい、秋田市の事務所には80歳で亡くなる直前まで相談が耐えなかった西岡さん。63歳の時に受けたインタビューの映像が残っていた。西岡さんは、「自分の生き方、そういったようなことも教えられる。そういう意味では仕事って本当にありがたい」などと語っていた。井上は、「人は、法の下に平等であり法律は人を幸せにするためにあるという「虎に翼」にも流れる思いが西岡さんの幹になっていたんだな」などと語った。西岡さんは、長く人権擁護委員も務め、弱い立場の人に寄り添い続けたという。
「ちょうど昭和8~9年の頃は、世界的不況と東北の凶作に泣く小作農がその娘を都会に身売りせざるを得ない頃だったのでこの事実を見聞きするにつけ、弁護士にと志を立てた私は、女が売られないような世の中にしなくてはと考え始めていた。」などその思いが実り、昭和14年に高等試験に合格した。女性として史上4人目の合格者で東北では初めての女性弁護士となった。戦後に憲法の制定で法律や制度が大きく変わる中、秋田に事務所を開いた西岡さん。しかし、待っていたのは戦前の価値観を押し付けられ追い詰められる女性たちからの相談だった。戦後のある日にラジオに出演した西岡さんは、憲法で結婚の自由が保障され”結婚ができないことを悲観して心中する必要は、もうない”と話す。翌日、”風呂敷包みを持った娘さん”が訪ねてきたという。「きのう、ラジオを聞いたけれど結婚したくても家でさせてくれないから助けてください」と言われたという。心中する覚悟で薬まで持ってきた女性を西岡さんは家に置き、その父親を説得する。しかし、応じてくれない。 父親は、「相手の男性は、隣の小作人の家の子供だ。格が違うからやれない」などと言ったが、そこで 一計を案じて「じゃあ、私の養女にする。すると、親父さんの娘じゃなくなるから、その後結婚させるよ」などと言った。 西岡さんの体を張った説得でようやく折れた父親。女性を家に置いた期間は、1か月以上にもなったという。
西岡さんの長男で弁護士の西岡清一郎さんは、憲法で保障されたはずの人権がまだ十分に尊重されない時代に西岡さんは常に女性や子どもなど”弱者の側に立って闘う人”だったという。非常に正義感の強い人で、はっきりしたものを言う人だった。西岡さんは「母がよく言っていたのは、人を信じなさい・だますよりはだまされなさい」。さらに西岡さんは、「(母は、)人の心を動かせるような力を持った人だと思う」などと語った。仕事を”転職”といい、秋田市の事務所には80歳で亡くなる直前まで相談が耐えなかった西岡さん。63歳の時に受けたインタビューの映像が残っていた。西岡さんは、「自分の生き方、そういったようなことも教えられる。そういう意味では仕事って本当にありがたい」などと語っていた。井上は、「人は、法の下に平等であり法律は人を幸せにするためにあるという「虎に翼」にも流れる思いが西岡さんの幹になっていたんだな」などと語った。西岡さんは、長く人権擁護委員も務め、弱い立場の人に寄り添い続けたという。