日本の団地史を大調査。団地研究歴20年以上、団地のファンサイトを運営し著書も発行する団地愛好家・照井啓太に団地の歴史を聞く。郊外にマンモス団地が出現。昭和46年から入居が始まった多摩ニュータウンは、東京の稲城市、多摩市、八王子市、町田市にまたがる、現在、人口約10万人のベッドタウン。高度経済成長期の中、都会の土地の価格が跳ね上がり、深刻な住宅不足を受けて開発された。多摩ニュータウンの1つの特徴が、街に網の目のように張り巡らされた日本一長い遊歩道。昭和47年には日本一の超マンモス団地・高島平団地(東京・板橋区)が誕生。高島平団地では、広大な敷地を活用したハーフマラソンの大会を実施。昭和52年から去年まで49回も行われ、瀬古利彦、増田明美、川内優輝など、有名選手も参加していた。一方、夏に盆踊りをしたり、お正月には餅つきをしたりと、団地ごとにいろいろな親睦会も。東京・町田市の団地では、流し冷やし中華を開催。昭和58年に入居が始まった光が丘パークタウン(東京・練馬区/板橋区)も郊外に出来たマンモス団地の1つ。現在では、小中高校が15校あり、総戸数1万2000戸という都内有数のマンモス団地。昭和62年にはパークタウン内に「光が丘ライフステーションIMA」(現在、光が丘IMA)がオープン。平成3年、都営地下鉄12号線・練馬〜光が丘間が開業。