陸上を初めた中学生の時に箱根駅伝で神野大地を見て、かっこいいと感じたという青山学院大学・若林宏樹。京都・洛南高校から、箱根駅伝・山の5区を目指して青山学院大学に進学した若林は、1年生で5区に抜擢された。その期待に走りで応えた若林は、区間3位で往路優勝のテープを切り、原監督から“若の神”と命名された。しかし翌年、夏に故障した若林は調整が遅れ、精神的に追い詰められた末、大会2日前に発熱。出場することはできず、青山学院大学3位で大会を終え連覇を逃した。そんな時、原監督の妻で寮母の美穂さんから「お前が走らないとだめなんだよ」と言われ、胸に響いたという若林。11月の全日本大学駅伝では万全な状態ではなかったもののトップと8秒差でタスキをつないだ。そして12月、若林は16人のエントリメンバーに選ばれた。