- 出演者
- -
オープニング映像。
- キーワード
- 東京箱根間往復大学駅伝競走
前回大会の第99回東京箱根間往復大学駅伝競走は駒澤大学が制した。大会翌日の早朝、駒澤大学のグラウンドには花尾恭輔の姿があった。花尾は箱根駅伝で走ることができなかった。花尾は1年生で出場した第97回東京箱根間往復大学駅伝競走の総合優勝に貢献。全日本大学駅伝では2年生・3年生と続けてアンカーを任され、2大会連続で優勝のフィニッシュテープを切った。しかし、前回の箱根駅伝直前の12月、主力メンバーの強化合宿に花尾の姿はなかった。胃腸炎に罹患していたからだ。2023年7月になっても花尾はまだ走れずにいた。この時は疲労骨折だった。春先から度重なる疲労骨折に見舞われていた。2023年8月、4年生最後の夏合宿でようやく練習を開始できるまでに回復した花尾。第100回東京箱根間往復大学駅伝競走のメンバー選考を兼ねた試合。花尾は目標タイムの1時間2分台で完走した。
「第100回箱根駅伝 往路」の番組宣伝。
「第100回箱根駅伝 往路」の番組宣伝。
陸上を初めた中学生の時に箱根駅伝で神野大地を見て、かっこいいと感じたという青山学院大学・若林宏樹。京都・洛南高校から、箱根駅伝・山の5区を目指して青山学院大学に進学した若林は、1年生で5区に抜擢された。その期待に走りで応えた若林は、区間3位で往路優勝のテープを切り、原監督から“若の神”と命名された。しかし翌年、夏に故障した若林は調整が遅れ、精神的に追い詰められた末、大会2日前に発熱。出場することはできず、青山学院大学3位で大会を終え連覇を逃した。そんな時、原監督の妻で寮母の美穂さんから「お前が走らないとだめなんだよ」と言われ、胸に響いたという若林。11月の全日本大学駅伝では万全な状態ではなかったもののトップと8秒差でタスキをつないだ。そして12月、若林は16人のエントリメンバーに選ばれた。
東海大学4年・石原翔太郎は、1年生の時に区間賞で箱根駅伝デビューし、「#石原翔time」が話題となった。石原は周りの支えに感謝を示し、「東海大学の看板になれるよう頑張りたい」と話した。
「第100回箱根駅伝 往路」の番組宣伝。
「第100回箱根駅伝 往路」の番組宣伝。
中央大学4年・吉居大和は、2年連続区間賞。前回大会は総合2位。監督は100回大会優勝を目標に掲げている。
「第100回箱根駅伝 往路」の番組宣伝。
「第100回箱根駅伝 往路」の番組宣伝。
順天堂大学4年・三浦龍司は、3000m障害で東京五輪に出場。予選で当時の日本記録を更新し、日本選手初の7位に入賞した。順天堂で三浦を指導する長門俊介駅伝監督は、学生時代に箱根駅伝で総合優勝を経験。区間賞も獲得している。三浦は学生オリンピアンである一方、箱根駅伝では注目度の高さに見合った結果を残せていない。短い準備期間で対応しなければならないことが影響しているという。そんな三浦は大学ラストイヤーとなる今季、キャプテンに志願。世界最高峰のリーグ戦では日本記録を更新するなど活躍したが、チームを離れることも多く、リーダーとしての葛藤を抱えていた。そうした中、チームも低迷。無力感を味わわされる三浦に、長門監督は「スイッチを入れてあげるのはキャプテン」と言葉をかけた。練習では先頭を走り、コミュニケーションも大切にする三浦の姿勢に、仲間のスイッチも入り、チームで戦う意識が高まったという。
法政大学4年・松永伶は、陸上を初めた頃から箱根駅伝100回大会への出場を目指していたという。今は、世界で戦える選手になりたいとも感じていると話した。
「第100回箱根駅伝 往路」の番組宣伝。
「第100回箱根駅伝 往路」の番組宣伝。
2年連続の2区で期待に応えた東洋大学・松山和希は前回大会、体調不良で出場すら叶わず給水ポイントにいた。子どもの頃に箱根駅伝出場が将来の夢になったという松山は、中学で陸上部に入部。高校は親元を離れて福島・学法石川高校に進学し、箱根駅伝出場の夢を叶えるため東洋大学に入学した。1年で花の2区を任された松山は、歴代2位の好記録を出した。2年生でも2区を任された松山は区間5位の快走を見せた。しかし、3年の夏の合宿に松山の姿はなかった。足首をケガし、出雲駅伝・全日本大学駅伝も欠場。12月にはケガから復帰し、箱根駅伝の出場を目指して練習に励んだが、インフルエンザにかかりメンバーには選ばれなかった。両親に申し訳ないと感じ連絡できなかったという松山だが、両親はその気持ちを察していたという。それから1年、懸命に走り込んだ松山は「強い自分を見せられたら親も安心してくれるかな」と話した。
エンディング映像。
主催者からの応援に関するお願いを伝えた。
東京・大手町から中継。箱根駅伝連覇・史上初2年連続大学駅伝3冠を狙う駒澤大学など、出場校の様子を紹介した。