1945年8月8日の正午前、筑紫野市の筑紫駅に向かっていた西鉄天神大牟田線の電車や駅舎が米軍機に銃撃され、多くの死傷者が出た。近年の市の調査では、犠牲者は150人ほどにのぼったことが判明しているが、今も身元がわかっていない人が多い。地元では当時の駅舎を保存して毎年追悼の行事を行っている。今日は住民など約50人が集まった。このあと、旧筑紫駅の駅舎の前で焼香が行われ、参列した地元の保育園児が千羽鶴を供えた。
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