1910年東京のラーメンは「淺草 來々軒」から始まった。第二次世界大戦が勃発し、街からラーメンは姿を消した。戦後、駅前には闇市が立ち並び、人々の腹を満たしたのがラーメンだった。闇市が集まったエリアの一つが中央線沿線。今回は、東京のラーメンを中央線で巡る旅。東京駅から西へ約30分の吉祥寺。創業90年の老舗、創業者は難波二三夫さん。戦後、阿佐ヶ谷駅前にラーメン店を開業。再開発で立ち退きにあい、屋台で営業開始。当時のスープは今と違い、透き通っていたという。1960年代に貸屋台を引いていた人の1人、牛久保英昭さん。牛久保さんが選んだ場所は千代田区内幸町。当時放送局や出版社が集まっていた地域。
中央線で巡るラーメンの旅。東京駅から約20分の中野駅。中野発祥のご当地ラーメンを出すお店は、このエリアに80軒も集結。元祖のお店を訪ねてみると、中野発祥のラーメンは「つけ麺」。現在の店主、坂口光男さん。初代である父・正安さんは、中央線・荻窪のラーメン店で修行し1951年に独立。メインは「しょうゆラーメン」。共に店を立ち上げたのは親戚の「山岸一雄」さん。当時山岸さんたちは、修行時代から続く少し変わったまかない「もりそばスタイル」のラーメンを食べていたが。それを見た客が食べてみたことでメニューになったという。70年通う常連客ははじめてつけ麺を食べたとき「斬新」だと感じたと話す。1961年山岸が独立。お店は山岸が亡くなった後、場所を変えて弟子が継いでいる。山岸は客の好みの味まで覚えていたという。彼のこと人々は「ラーメンの神様」と呼んだ。
中央線で巡るラーメンの旅。東京駅から約20分の中野駅。中野発祥のご当地ラーメンを出すお店は、このエリアに80軒も集結。元祖のお店を訪ねてみると、中野発祥のラーメンは「つけ麺」。現在の店主、坂口光男さん。初代である父・正安さんは、中央線・荻窪のラーメン店で修行し1951年に独立。メインは「しょうゆラーメン」。共に店を立ち上げたのは親戚の「山岸一雄」さん。当時山岸さんたちは、修行時代から続く少し変わったまかない「もりそばスタイル」のラーメンを食べていたが。それを見た客が食べてみたことでメニューになったという。70年通う常連客ははじめてつけ麺を食べたとき「斬新」だと感じたと話す。1961年山岸が独立。お店は山岸が亡くなった後、場所を変えて弟子が継いでいる。山岸は客の好みの味まで覚えていたという。彼のこと人々は「ラーメンの神様」と呼んだ。