100歳を迎える市民をお祝いするために訪れた那覇市長にピアノを披露した上原史子さんがまず口にしたのは自らの戦争体験だった。上原史子さんは1926年に那覇市で生まれ裕福な家庭に育ったが、1945年当時父親が営む向上に日本軍が駐屯し戦火が迫ると南部への避難を促された。家族を一度に失った場所は長らく見つけられなかったが、地域の人達の協力などもあり2018年に特定に至った。台湾に出征した兄らを除く家族5人で戦火を逃れるため沖縄本当の南部へ向かった。しかし6月18日、一発の砲弾で家族を失った。自らも砲弾の破片が右腕に刺さるなど大けがをした史子さんは近くの壕に逃れ、その後アメリカ軍の捕虜になった。戦後は4人の子どもにもめぐまれ現在は孫やひ孫に囲まれて暮らす日々で、戦後がいつまでも続くことを願っている。
