2024(令和6)年に82歳で亡くなった北の富士勝昭さんは第52代横綱で解説者としても活躍した。現役時代は玉の海と一時代を築いた。親方としては千代の富士・北勝海と2人の横綱を育てた。昭和17年に北海道美幌町で生まれ、留萌市で育った。昭和32年に北海道初の横綱・千代の山が所属する出羽海部屋に入門。なかなか体重が増えなかったが、出羽海親方になった武蔵川親方に「お前は肉が付けば強くなる」と言われて奮起。1963(昭和38)年に史上3人目の十両全勝優勝。1966(昭和41)年に大関昇進。1967(昭和42)年の春場所で初優勝したが、調子に乗ってしまい、その後は成績が低迷。 豪快に遊び、レコードを発売して歌う力士のさきがけとなった。ライバル玉乃島(のちの玉の海)の登場で危機意識を持った北の富士は1970(昭和45)年の初場所で優勝決定戦の末に玉乃島に勝利して優勝。同年に玉の海と共に横綱へ昇進した。2人は何度も優勝争いを繰り広げ、北玉時代を築いたが、玉の海は病気のため27歳で急逝。北の富士は優勝10回を記録し、1974(昭和49)年に引退した。九重親方となってからは型破りな指導法で話題となった。千代の富士には“ウルフ”という愛称をつけ発破をかけた。平成10年には解説者となり、率直でユーモアあふれる語り口で人気を集めた。
伊藤アナが北の富士さんを取材した思い出を語り、視聴者から届いたメッセージを紹介した。
「NHK映像ファイル あの人に会いたい」の番組宣伝。
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