前回、肖像画の真相など聖徳太子に関する新説を紹介した。今回も歴史作家・多摩大学客員教授・河合敦さんに歴史の最前線を教えてもらう。京都の神護寺が所蔵する伝源頼朝像など貴重な国宝作品は、寺に残る古い記録から源頼朝とされていた。最近になって顔のパーツは時代によって描き方の流行があり、頼朝の時代ではなく150年ぐらい後の室町時代の初期の描き方じゃないかと言った美術史家がいた。その時期に「僕と兄の肖像をセットで神護寺に納めた」という文書があり、室町幕府を作った足利尊氏の弟の直義ではないかと言われていて、教科書から肖像画は消えてしまっている。現在では木像を源頼朝として掲載している教科書が多い。
