水戸藩の藩校、弘道館にある石碑には設立の理念、教育方針が書かれている。そこには尊王攘夷、いわば倒幕のスローガンも併記されていた。徳川光圀の思想は天皇から政治を任されているからこそ、徳川将軍が大名を統率し、日本を治めることができるというもので、歴史書「大日本史」を通して水戸藩に浸透させた。1824年、水戸藩の海岸にイギリスの捕鯨船が現れ、水戸藩は乗組員を捕らえた。当時、アジア各地ではヨーロッパの国々によって植民地化が進み、水戸藩では侵略を許さないと攘夷の機運が高まった。そして、攘夷を成すには日本全体が団結しなければならず、その象徴たる存在は天皇だった。水戸藩が掲げる尊王攘夷に賛同し、水戸へ学びに来た人物に吉田松陰がいた。だが、ペリー来航をきっかけに欧米列強の実力を目の当たりにした幕府は開国やむなしと判断し、アメリカとの間で日米修好通商条約を締結した。天皇の許可も得なかったこともあり、人々は徳川幕府は攘夷もできなければ、尊王すらしていないと考え、倒幕の機運が高まった。
住所: 茨城県水戸市緑町2-1-15
URL: http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/
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