小林は竹島水族館に就職が決まった時について、当初は大きく立派な水族館で人気の生き物を飼育し華やかな生活を送りたいと思っていたという。また当時の竹島水族館については人がおらず、入社2年目でアシカショーをしていたが、アシカと一緒にでていってもお客がおらず、館内では営業をサボって寝ているサラリーマンなどがいたと答え、その人を起こして無理やりアシカショーを見せていた時もあったという。また魚は誰にも見てもらえない状態で水槽がいることにもかわいそうと感じたというが、魚も好きで捕まえられてここにいるわけではないが、客がいないとまるで牢屋に入っているかのようなので水族館は何かを伝えられなければいけないと語った。また竹島水族館の再生のために全国の水族館を見てまわったという小林。しかしその中で取り入れられるものは無かったという。大きな水族館で客が大きな水槽で魚を見て楽しそうにしているのを見て悔しくて泣いてしまったという。しかしそれが反骨精神となり盛り上げる材料にはなったと答えた。また運営管理の権利を獲得したが失敗すれば終わるという中で、崖っぷちに立っていたという。また水槽を受け持つ飼育員には予算を振り分けているというが小林は自分の頃は上の指示がないと魚を買えず、ソレが嫌だったので今の形にしたという。