ブラジル・サンパウロの介護施設で暮らす山合敏順(85歳)と娘・玉城レイラを紹介。山合は3年前に認知症と診断され、認知症悪化のなか「アメリカ人は嫌い」「もう日本には帰らない」「広島に原爆を投下したからアメリカ人は日本人を苦しませた」と言うようになった。1945年8月6日、広島に原爆が投下された。山合は爆心地から3kmの場所にあった自宅で被爆した。外出中だった父と兄は死亡、翌年には妹も亡くなった。被爆から11年後、中学を卒業後に母を日本に残して16歳でブラジルへ。当時、国は海外への移住政策をすすめており、多くの人々が南米などに移住していた。
山合は28歳の時、お見合いで出会った日本人女性と結婚しバラ農園を営みながら娘・レイラを育てた。被爆者への偏見や察別をおそれて、被爆体験は語らなかった。レイラは「母からも、あまり人には言わないほうがいいと言われた」と話す。山合は被爆者健康手帳を申請しないまま異国の地で生きてきた。山合は去年、100歳で死亡した被爆者・森田隆と施設で同室となった。森田は広島で被爆しブラジルに移住後に被爆者支援団体を立ち上げ、現地の学生やメディアに向けて被爆証言を続けていた。この出会いをきっかけに山合は被爆体験を話すようになり、レイラは広島市に被爆者健康手帳を申請することを決意した。
しかし、80年目の手帳申請は容易ではなかった。申請には被爆当時の状況を記載した申請書とその事実を確認できる書類が必要だが山合の手元に書類はなかったため「被爆者支援団体事務所」(サンパウロ)へ。レイラは森田が集めていた被爆者の資料を調べ、山合の家族写真や兄妹の被爆者健康手帳の写しなどを集めて申請した。8月4日、山合は日本総領事館で清水総領事から被爆者健康手帳を受け取った。
山合は28歳の時、お見合いで出会った日本人女性と結婚しバラ農園を営みながら娘・レイラを育てた。被爆者への偏見や察別をおそれて、被爆体験は語らなかった。レイラは「母からも、あまり人には言わないほうがいいと言われた」と話す。山合は被爆者健康手帳を申請しないまま異国の地で生きてきた。山合は去年、100歳で死亡した被爆者・森田隆と施設で同室となった。森田は広島で被爆しブラジルに移住後に被爆者支援団体を立ち上げ、現地の学生やメディアに向けて被爆証言を続けていた。この出会いをきっかけに山合は被爆体験を話すようになり、レイラは広島市に被爆者健康手帳を申請することを決意した。
しかし、80年目の手帳申請は容易ではなかった。申請には被爆当時の状況を記載した申請書とその事実を確認できる書類が必要だが山合の手元に書類はなかったため「被爆者支援団体事務所」(サンパウロ)へ。レイラは森田が集めていた被爆者の資料を調べ、山合の家族写真や兄妹の被爆者健康手帳の写しなどを集めて申請した。8月4日、山合は日本総領事館で清水総領事から被爆者健康手帳を受け取った。
