雲水の修行は命がけの法身を持って行われるという。道元は「只管打坐」すなわちひたすら座禅を組み座ることだが、座禅だけでなく朝起きて寝るまで1日にすべての行動が修行となっている。道元は「威儀即仏法」つまり形を整えることが仏法だと唱えている。境内は約33万平方mであり全山の階段数は約500段、全山の畳は2000畳という。現在入山している雲水150人は平均年齢が23歳6カ月となっていて、95%が大学卒業者となっていて、平均して2年滞在しているという。修行をいつ止めるかは雲水の自由意志だが食費や小遣いは永平寺がまかなっている。厳しい福井の冬は海岸線の大きな岩にシベリアからの寒風にあおられた荒波が打ち寄せ、飛沫を10数m打ち上げていく。おくのほそ道でも知られる永平寺だが、道元は44歳になって京都・興聖寺から雪国に位置する永平寺へと修行の場へと移した。道元は恩師・如浄禅師から中央権力に近づかず深山幽谷にこもることを教えられたが、禅の道を求める道元に対しては比叡山などからの圧迫が強かったという。そして、道元は死ぬまでの10年を永平寺で過ごすこととなる。