混乱を極めた2024年元日。夜7時頃、東海道新幹線は遅れを取り戻し定刻ダイヤに戻っていた。増田さんは指令長勤務に備え帰宅した。その後、自宅でグループチャットでやり取りをした。相手は幹部の2人。それは北陸新幹線の運休に備えての対策だった。緊急対応のやり取りは深夜まで続いた。翌1月2日午前6時頃、北陸新幹線は地震の影響で前日に引き続き長野-金沢間で運転見合わせ。増田さんは3時間早く出社。指令所には幹部2人が来ていた。結果的に米原駅にのぞみをとめる必要はないと判断。東海道新幹線は予定通りの運行。Uターンラッシュの1月2日で乗務員も車両もフル回転。午後3時過ぎ、北陸新幹線も運転再開。だが日本の交通が麻痺する出来事が起きる。その時、指令長を務めた増田さんは重要な決断をする。2024年1月2日、能登半島地震の対応をしてきた東海道新幹線。このあとさらなる決断を迫られる事態が起きる。
住所: 石川県金沢市木ノ新保町1-1