阪神・淡路大震災から30年。安田さんは当時小学校低学年だったが、当時の映像を見たときの衝撃は今でも覚えているという。社会人になり東日本大震災の避難所を取材すると、あのときニュース映像で見た光景がほぼそのまま広がっていたという。大きく改善されたとは言いづらい状況で、国公権力の責任が問われてくるという。非常時だから我慢、自己責任で済ませないという認識を社会としても政治としても共有していく必要があるなどと述べた。松原さんは、阪神・淡路大震災の取材では交通手段がなく、大阪から神戸まで自転車で行ったという。そこで出会った中小企業の社長は、トラックの助手席で寝泊まりしても弱音を吐かない、避難所では被災したおばあちゃんが配給されたおにぎりをくれようとしたという。その後も色んな被災地に行ったが、日本人は我慢強く体育館で寝泊まりする姿を見て、政府や自治体は日本人の我慢強さにあぐらをかいている、甘えてるという風に言われてもしかないなどと述べた。