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「雄勝町(宮城)」 のテレビ露出情報

宮城県石巻市の雄勝町には小さな集落が点在し1000人ほどが生活している。漁業の町である雄勝町、4月は特産のワカメの出荷で賑わっていた。直売所には大漁旗が飾られている。栄養分豊富な海では漁だけでなく養殖も盛んに行われている。雄勝町で生まれ育ったという大和恵一郎さん、大学卒業後すぐに家業である漁業に従事したという。今の時期は春にやってくるイワシを狙った漁を準備をしているという。夜明け前に漁に出て、500mほど離れた場所に定置網を仕掛ける。この日の成果、一見多くの魚がかかっているように見えるが目当てのイワシではなくその多くがサバだった。毎日はいる魚が違うと語る大和さん、毎日が違うのが面白いという。ただ漁師になった頃には「いつまで続けるか」と考えていた。転機は東日本大震災、雄勝も甚大な被害を受け多くの人が地元を離れた。そんな中、大和さんは「誰かがいないとなくなってしまう」と考え、雄勝に残ったという。復興が進む中で、町は様変わりし、人口は4分の1程度になってしまったという。ある休日、大和さんは地元の道の駅を訪れる。家族と過ごす時間が何よりの楽しみだという大和さん。家に帰る途中に寄ったのは防潮堤、現在ここには見えなくなった景色が描かれている。
高台にある集落を訪れると、そこでは神楽の稽古が行われている。600年前から続けられているという「雄勝法印神楽」は春の祭りで奉納される。保存会の会長を務める千葉さんは、現在は若い人たちの指導を行っているという。高台にある千葉さんの家は高台にあり津波の被害は免れたものの、奥さんは出先で巻き込まれたのか現在も行方不明だという。千葉さんの手元には奥様が作ってくれた神楽の装束がある。始めてこの装束を身に着けたのは震災直後、多くの神楽の道具が震災により無くなる中、千葉さんは奥さんの作った衣装で神楽を舞ったという。また1度は地元を離れたという末永さんは神楽に参加するためにこの町に戻ってきたという。祭り当日、神楽の奉納を迎えると末永さんは地域が一つになる願いを込められた神楽を舞った。見る人達の顔には笑顔が見られた。同じ頃、大和さんは家族総出で漁の手伝いを行う。将来就く仕事などの選択肢は子供に任せるがと前置きしながら、大和さんは「生まれ育った町は好きであってほしい」と話してくれた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月13日放送 23:00 - 23:56 TBS
NEWS23NO WAR プロジェクト つなぐ、つながる
犠牲になった船には多くの漁船も含まれている。宮城・雄勝町の青木虎三さんに話を聞いた。戦争が始まると漁船は徴用された。主な役割は近海でアメリカ軍の接近を監視すること。いわば人間レーダーだ。攻撃されれば漁船はひとたまりもない。カツオ漁船で軍事物資を運搬していた高橋松三郎さんは米軍の潜水艦攻撃で死亡した。

2024年8月8日放送 1:30 - 2:30 フジテレビ
FNSドキュメンタリー大賞(FNSドキュメンタリー大賞)
宮城県石巻雄勝町は、東日本大震災の発生後、人口は4分の1にまで減少した小さな漁師町。藤井さんがバレーボールを始めた旧大須中学校は2017年に閉校。バレー部が唯一の運動部だったが、体育館はあり、朝はグラウンドでの青空バレーで放課後は近くの小学校の体育館を借りて練習を行っていた。当時小学校の教師だった横江さんは夜まで熱心に練習する藤井さん達を見ていたという。青空[…続きを読む]

2024年5月26日放送 8:00 - 8:25 NHK総合
小さな旅(小さな旅)
宮城県石巻市の雄勝町には小さな集落が点在し1000人ほどが生活している。漁業の町である雄勝町、4月は特産のワカメの出荷で賑わっていた。直売所には大漁旗が飾られている。栄養分豊富な海では漁だけでなく養殖も盛んに行われている。雄勝町で生まれ育ったという大和恵一郎さん、大学卒業後すぐに家業である漁業に従事したという。今の時期は春にやってくるイワシを狙った漁を準備を[…続きを読む]

2024年3月11日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
東日本大震災から13年。宮城県石巻市雄勝町はかつて4000人もの人が暮らしていた町は住宅の8割が全壊、多くの命が失われた。命を守るために2016年に防潮堤建設が開始された。住民は高台に移転するか否かをせまられた。高台移転を選んだ佐藤美千代さん。夫は他界し今は一人暮らし。佐藤さんは孫や子どものために故郷は残しておきたいという。雄勝町を離れることを決めたのは災害[…続きを読む]

2024年3月11日放送 19:00 - 20:00 NHK総合
NHKニュース7東日本大震災13年
次の教訓は「まちづくり」。東日本大震災では元の状態に戻すのではなく、各自治体が創造的復興を目指して復興計画を作り、道路や住宅など13兆円余りが投じられた。陸前高田市の戸羽太さんは「未来の人々のため」という意識でまちづくりを行ったと語った。一方で宮城県雄勝町の阿部晃成さんは震災前より状況が悪くなっていると語り、能登半島地震の被災地でその教訓を伝えているという。[…続きを読む]

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