日本語が話せない男性は知人に叔父さんへの連絡を依頼。知人が叔父さんに電話するも母を知らず、再確認のため写真や目的を男性の代わりに手紙で送付してくれた。母を知らないとは、叔母の聞き間違えという。現在母の話を聞けるのは叔父さんだけ。男性の母は昭和6年に鹿児島県に生まれ、10人きょうだいの3番目として実家の農家を手伝ってきた。母は織物工場に就職しその後ブラジルへ。結婚しがんと闘いながら専業主婦として自分の家族を支えた。また、母が住んでいた家は老朽化が進み解体されていた。
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