1953年に日本のテレビ女優第1号としてデビューしてから72年。テレビ放送開始の瞬間から今も出続けている黒柳徹子が先週土曜日、長野県軽井沢に自身のコレクションを集めた「黒柳徹子ミュージアム」をオープンした。記者会見では歌に乗せて展示されているお気に入りの衣装を紹介するなど徹子節が炸裂。展示品はすべて私物で、「世界ふしぎ発見!」で着用した着物から趣味で集めてきた小物・アンティークなど300点以上を展示。美しいものを「美しい」と言える。それは世界が平和である証拠と考える徹子の思いが集まった品ばかり。今回、ミュージアムでインタビューを敢行。数々の伝説的エピソードや第一人者として思うこれからのテレビのあり方など貴重な話を聞いた。
黒柳徹子は1953年に日本のテレビ女優第1号としてデビュー。デビュー後すぐに人気を集め、20代後半にはテレビとラジオのレギュラーが週10本とお茶の間の人気者になった。しかし、テレビ草創期で失敗の連続だった。黒柳は「初めのころはNHK専属で出ていたけど、あれは無謀なことだったなと思う。テレビは生を映すものなんで、私はそうであってほしいと思う」と話した。「ザ・ベストテン」で起きたハプニングを教えてくれた。シブがき隊の本木雅弘のマイクのコードがライトに絡まり、はいずってほどいてあげたという。芸歴72年、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者である徹子ですら、テレビは緊張するものだという。自身と同じく司会をこなすMC・設楽統の印象について聞いてみると、「誰も傷つけることがない。ああいうところ、すごいなと思う。優しさ、面白さをみんなが好きなんだと思う」と話した。テレビの影響力を誰よりも知るからこそ優しさにあふれるコンテンツであり続けてほしいと説く。テレビのみならず、現在はYouTubeやSNSも使って積極的に発信。「黒柳徹子ミュージアム」は300点以上の展示物があるが、今後は季節やイベントに合わせ新たな展示もお披露目されていく。
黒柳徹子は1953年に日本のテレビ女優第1号としてデビュー。デビュー後すぐに人気を集め、20代後半にはテレビとラジオのレギュラーが週10本とお茶の間の人気者になった。しかし、テレビ草創期で失敗の連続だった。黒柳は「初めのころはNHK専属で出ていたけど、あれは無謀なことだったなと思う。テレビは生を映すものなんで、私はそうであってほしいと思う」と話した。「ザ・ベストテン」で起きたハプニングを教えてくれた。シブがき隊の本木雅弘のマイクのコードがライトに絡まり、はいずってほどいてあげたという。芸歴72年、同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者である徹子ですら、テレビは緊張するものだという。自身と同じく司会をこなすMC・設楽統の印象について聞いてみると、「誰も傷つけることがない。ああいうところ、すごいなと思う。優しさ、面白さをみんなが好きなんだと思う」と話した。テレビの影響力を誰よりも知るからこそ優しさにあふれるコンテンツであり続けてほしいと説く。テレビのみならず、現在はYouTubeやSNSも使って積極的に発信。「黒柳徹子ミュージアム」は300点以上の展示物があるが、今後は季節やイベントに合わせ新たな展示もお披露目されていく。
住所: 長野県北佐久郡軽井沢町長倉