待望のワールドカップがようやく実現したのはウワサから3年後のことだった。日本代表を支えてきたメンバーたちはすでに20代半ばで満身創痍だった。山口はワールドカップに向けてトレーニングに専念しようと、勤めていた工場を辞めた。一方、中学校教師となった加治は休日の遠征で学校行事を休むたび、厳しい視線にさらされた。当時、同じチームにいた13歳の澤穂希は本田の姿を間近で見ていた。ワールドカップ予選、初戦の相手は強豪・北朝鮮。1-0で勝利した試合後、本田は骨折したと判明した。
ワールドカップまであと1勝のチャイニーズ・タイペイ戦。この大会でサッカーをやめると決めていた加治がPK戦を制してワールドカップ出場が決まった。本戦は3戦全敗、本田と加治は現役を引退した。ワールドカップ後、にわかに女子サッカーブームが到来した。バブル景気を追い風に発足した女子サッカーリーグにスポンサー企業が続々名乗りを上げた。だが、わずか数年でブームは終了した。本田が始めたのは女子サッカーの普及活動。日本サッカー協会に就職、自分の日当はいらないからと説得して全国で教室を開いた。澤はチームの経営難でサッカーを続ける場所を失った。
ワールドカップまであと1勝のチャイニーズ・タイペイ戦。この大会でサッカーをやめると決めていた加治がPK戦を制してワールドカップ出場が決まった。本戦は3戦全敗、本田と加治は現役を引退した。ワールドカップ後、にわかに女子サッカーブームが到来した。バブル景気を追い風に発足した女子サッカーリーグにスポンサー企業が続々名乗りを上げた。だが、わずか数年でブームは終了した。本田が始めたのは女子サッカーの普及活動。日本サッカー協会に就職、自分の日当はいらないからと説得して全国で教室を開いた。澤はチームの経営難でサッカーを続ける場所を失った。