“激戦地” ペリリュー島 記憶の継承

2024年9月26日放送 4:44 - 4:50 NHK総合
国際報道 (ニュース)

パラオのペリリュー島は太平洋戦争の激戦地として知られる。当時日本の統治下にあったペリリュー島に米国軍が上陸したのは1944年9月。2カ月余におよんだ戦闘で日本兵1万人余の殆ど、米国兵1500人超が死亡。補給もない中、玉砕も自決もゆるされない徹底的な持久戦。日本兵は本土決戦のための時間稼ぎを課されていた。今月15日ペリリュー島で行われた戦没者を悼む式典、日本と米国の遺族や政府関係者が平和への誓いを新たにした。旧日本軍が掘った洞窟に大砲や戦車、飛行機の残骸、旧日本軍の航空隊の司令部があった場所には空爆のあとが残されている。島内には今も約2400人分の遺骨が遺され遺骨収集が続けられている。戦闘を生き抜いた34人の元日本兵は全員死亡。当時を知る島民も少なくなっている。島で生まれ育った日系2世のマユミ・シノヅカさん(87)。父は日本人のビジネスマンだった。戦闘を前に島民は旧日本軍によって別の島に移住させられたが食料はなく米軍の空襲にもあった。当時のことを今でも鮮明に覚えているという。戦争が終わり島に戻ったシノヅカさんが目にしたのは戦闘のため草木を焼き払われ荒野と化した故郷だった。ペリリュー島の激戦を忘れてはならないとパラオ政府が日米の協力で兵士の遺品などを集めた博物館をオープン。パラオのウィップス大統領も来館。展示されている当時の武器や地図、兵士の飯盒などに目をとめていた。博物館の準備に携わった東京大学・菊池百合子さん。遺骨収集の活動のためペリリュー島を訪れ島での戦闘の記憶が風化しつつあることに危機感を持った。兵士たちの遺留品の中で菊池さんの目にとまったのが縦断が貫通した水筒。島には川がなく兵士たちは飲み水の確保に苦しんだ。島で唯一の井戸に命がけで水をくみにいったという。菊池さんは水筒を博物館の中心にすえ、当時の過酷な環境を伝えることにした。ペリリュー島で起きた惨状の痕跡にふれることで多くの人に戦争を自分ごととして捉える機会にしてほしいという。


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東京大学太平洋戦争ペリリュー島スランゲル・ウィップス・ジュニア

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