カンブリア宮殿 カンブリア宮殿 亀戸発!下町老舗の愛情弁当
升本フーズの社長の塚本は、幼い頃家業の居酒屋が大嫌いだった。両親が働き詰めで一緒に夕食を食べた記憶がないという。それで特別豊かでもなかったという。その状況に嫌気がさした塚本は高校卒業後には家で同然で大阪へ。しかしほどなくして父ががんで危篤になると後を頼むという最期の言葉に塚本はやらないと言ったという。周囲から説得され、嫌々家業を手伝うことになった塚本は、30代になると店を母と姉に任せて勝手に不動産事業の会社を設立し大きな利益をあげた。しかしバブル経済の崩壊で、塚本も事業に失敗し4億円の借金を背負ってしまった。そんなとき知人の紹介で仕事が舞い込んだ。それは結婚式場などで有名な目黒雅叙園で社員食堂を運営する仕事だった。最悪の状況を嫌いだった飲食業で救われた。そして大きな転機が訪れたのは45歳のとき。当時、箱根に開館したばかりの箱根ガラスの森美術館を訪れた時のこと、どのスタッフもイキイキとして働く姿に衝撃を受けたが実は、美術館を運営していたのは飲食業をメインとするうかいという会社。感銘を受けた塚本はその創業者の鵜飼貞男氏に会いたいと手紙を送った。願いが叶い面会すると鵜飼氏は一通の手紙を差し出した。それは美術館を訪れた人の手紙だったという。生活苦にあえぎ生きることを諦めた夫婦が最後の思い出にと美術館を訪れた時、その幻想的な光景に心を奪われ人生をやり直そうと決意しその後も貧しいながら幸せに生活しているという。鵜飼氏は塚本に利は喜びの陰にありと、人を喜ばせることは大きな価値になると伝えたという。客を幸せにするにはまず、従業員を幸せにするべきだと考えた。
飲食業は、長時間労働で休みが少なく給料は安いが当たり前だった。そんな状況をかえるために塚本は従業員がしっかり休めるように土日が休みの社員食堂の事業に力をいれ、更に忙しく料理人が休めていなかった新宿や銀座などの料理店を閉めて工場で決まった時間に働ける弁当事業を新たに始めた。皆以前より家族と過ごす時間が増えて給料も良くなったという。料理長の一人の廣瀬は、店舗での仕事とは違ったやりがいを見つけていた。塚本はうかいで働く従業員はイキイキとしていて銀行をやめてうかいで働くという人もいたという。また利は喜びの陰にありという言葉を掲げていたが、来た人を喜ばせることができれば商売は上手く行くという意味で、一度しかない人生でつらく働いていたら悲劇だと答え、幸せと感じる従業員がいることが会社の存在価値だという。