ガイアの夜明け トランプ関税と日本の製造業
5月26日、東京・霞が関。日米の関税交渉を担当する赤沢大臣を訪ねたのは、群馬県の山本知事。赤沢大臣に陳情するためやってきた。地元の製造業への打撃を懸念していた。アメリカ市場への依存度が高いSUBARUや、そのサプライヤーが群馬県に集積している。藤岡市にある、自動車部品メーカー「豊田技研」。社長の豊田さん、得意とするのはプレス機を使った絞り加工。単価の安い部品をコツコツ作って売上高は24億円、その半分以上をアメリカで稼いでいる。ところが今、豊田技研に異変が。突然、アメリカ向けの注文が倍増したという。急激に受注が増えると、その反動で大きく落ち込む可能性があり喜べないという。予測不能の事態に豊田さんも戸惑うばかり。
豊田技研を創業した、豊田勇三郎さん。東京・浅草に生まれ戦争の空襲で群馬に疎開、裸一貫で会社を立ち上げ多くの技術者を育てた。今や従業員は130人、その生活を守らなければならない。しかし豊田さんには、アメリカの関税で倒産の危機に直面した過去があった。1995年の日米自動車交渉。当時の橋本通産大臣とアメリカのカンター代表が、関税をめぐって激しい交渉を繰り広げた。取引先から部品をアメリカで生産すると通告され、豊田さんは慌てて現地へ飛んだという。ところが、アメリカでテスト生産をしたところ精度が悪く、結局豊田技研が日本で製造し輸出を続けることになった。これを機に技術力の高さが証明され、逆に注文が増えたという。あれから30年経った今、アメリカが本気で製造業を取り戻そうとしている。
6月上旬、高崎市にある居酒屋で専務の信也さんが社員との飲み会を開いた。信也さんには、何か秘策がある様子だった。